2008年12月30日火曜日

夜の風景



今年の仕事をすべて終わらせ、夜はいつものバーで、恒例となった旧友や親しい人たちとのパーティ。ひさしぶりに見る顔も多く、互いにつもる話や馬鹿話をしながら杯を重ねる。そっと時計を覗くと終電車まであと1時間。もうちょっと飲んでからと思い、再び覗くととっくに手遅れ。外に出ると、穏やかな天気で、真冬というのに夜風が意外に暖かい。仕方ないなあ、たまには歩いて帰るよ。

駅前の数珠つなぎのタクシーの列を横目に、幹線道路脇の歩道をとてちてた。ふらふら歩くと危険なので、できるだけ直進を心掛けるが、これがけっこう難しい。歩道上の黄色のマーカーを慎重に踏みながら、やや速足で歩くとよけいに酔いが回る。数えきれないくらいのタクシーに追い抜かれ、そして遠ざかる姿に少し後悔しながらも、ここで乗るくらいだったら最初からそうすべきだったのだと自分に言い聞かせ歩き続けた。

普段は寝ている時間だが、そういう間にも営業している店は多く、しかしどこもほとんど客の姿は見えない。がらんとした店内の隅っこで、青白い蛍光灯に照らされ、伝票を繰ったり、疲れた表情で物思いにふける姿をいくつものガラス越しに見る。押し出されるように流れる時間に滑り込んだ、静かで、孤独な時間。ありがとう、皆さん。

2008年12月28日日曜日

カレンダー



毎年のように、我が家には何冊かのカレンダーが届く。だが、カレンダーを壁に掛ける習慣はない。どうしたって目障りだし、必要な場所にはごく小さな日付だけの目立たないデスクカレンダーを置いているからだ。中には美しい写真を載せたものや、デザイン的に凝ったのもあり、それらは単純に眺める分には楽しいが、しかし壁に掛って毎日見るとなると話は別なのだ。

ホンダのカレンダーもそうしたなかの一つであり、例年暮れにひと通り眺めて押し入れに仕舞いこむ。先日も届いたばかりのを見ていたが、おそらく今年で最後になるかと思うと無性に寂しくなってしまった。それはレースのシーンばかりを集めたカレンダーなのである。今年後半の急激な経済変動で、ホンダはF1から撤退し、再び戻ることはないという報道があったのはその数週間前のことだ。

以前にもすこし書いたが、子どものころからクルマはホンダ以外は全く関心がなかった。なにしろ子どもなので、ただ純粋に色や形が気になってしようがなかったのだ。それはちょっと風変わりな形とか、妙に気を引くコマーシャルとか、ホンダのクルマは楽しそうだなと思わせる訴求力があった。長じて、本田宗一郎や藤沢武夫を知り、そのとてつもない人間的魅力に傾倒した。またレースに挑戦して発展し続けるホンダという存在が、大げさにいえば同じ日本人としての誇りだった。

これは勝手な思い込みだが、あの会社のピークは20年前だったように感じる。経営的にどうのというのではなく、会社や商品の魅力という意味で。藤沢や本田が、相次いでこの世を去った昭和から平成の変わり目のころだ。もちろんその後もホンダは発展を続けたが、わたしにとってはもはや特別な自動車会社ではなくなっている。そしてホンダのDNAとまでいわれたレースからの全面撤退をもって、ホンダのこれまでの長い物語はいったん終わりを告げたと思うのである。だれの責任でもない、それが寿命というものだろう。

政府や民間のリーダーたちの表情が暗い。人間的魅力に欠けるうえに年老いてもいる。社会というものは、究極的には次の世代のゆりかごでなくてはならないのに、そこに老人たちが潜り込んでしまっている。もし本田宗一郎や藤沢武夫が生きていたら、彼らはこの現状に対して何と言うだろうか。

2008年12月27日土曜日

容器

モノを持つということに関しては、かなり抑制的な部類に入るだろう。今必要なものを、必要な分量だけ持つというのが生活信条。何をもって必要かとするかは価値観が決めることだが、必要性を生活の尺度とする場合は、そこに自ずから合理性の原則が働いている。生きるために不可欠の、というと窮屈すぎるし、単に快適な暮らしに必要あればというと、それは無原則と同じになる。要はその両者の中間の、匙加減のありようが、暮らしに様々な個性を与えているのだ。

時々、他人様から何かと頂戴することがあり、それが大げさなパッケージに入れられたりしていると、自分の責任でないのに罪悪感を覚える。だからせっかく頂戴したものは、できるだけゴミにせず、あれこれと工夫して使っている。そして、どうやって利用しようかと考えていると、思いもよらない用途が閃くことがあり、それはそれでまた愉快なものである。

写真の容器には、もともと味付け海苔が入っていた。よく見ると、これが結構デザイン的に優れている。味付け海苔を保管できるケースならば、当然防湿性にも優れているはずだ。じゃあ、お茶やコーヒーなど湿気を嫌うものを保管する容器に転用すればいい。そこで重いガラス容器から、この軽い合成樹脂の容器に移し替えたが、結果的にこのアイデアは大正解だった。適度な弾力があるため、落としても割れることがないし、容器の蓋が大きいので使い勝手がとてもいい。それからというもの、中身の味は忘れたが、このパッケージはずっと役立っている。実は追加でもっと欲しいのだけど、その後うちに味付け海苔を送ってくれる人はなく、必要な数が揃わず残念で仕方ないのである。

2008年12月25日木曜日

3等賞

ツマタビ、ツカノマジユウ。仕事帰りは、イヴの夜の雑踏でも楽しもうか。まずはメガネ屋に行ってメガネの洗浄をしてもらう。仕上がるまでの20分間、疲れが溜まっているのか、眠気に負けてスツールに座ったままウトウトとする。真っさらになったメガネをコートの内ポケットに仕舞い、さて次はどうしよう。

すでに腹が空いていたので、何はともあれ腹ごしらえ。ターミナル駅前の地下街にある飲食店で、焼きソーセージとフライドポテト、そして生ビールを注文する。紫煙の籠る混雑した店内で、狭いカウンターに体を預けて一人の食事を楽しむ。真っ白なクロスが掛るテーブルでシャンペンを飲むよりも、肩を触れ合いながらビールを飲む贅沢。この大都会の魅力は、いつでも孤独になれること、そしてその孤独を楽しむ場所に事欠かないことである。

食事が終わって、次に向かうのは書店。年末年始の暇な時間のための本を探すのだ。外の喧騒と対照的に静かな店内は、イブの夜だというのに、つまらない専門書を開いて読んでいる若者が多い。勤勉さにケチをつけるつもりはさらさらないが、人生良く遊びよく学べ、じゃなかったかい。思案の挙句に何冊か新刊本を買い求めて、時計を見るとまだ8時半。店を出てからビルの谷間を、夜風に当たりながら、あてもなくブラブラする。映画を観るには、時すでに遅し。

賑やかな街を横切り、人気の疎らな路地裏を通り抜け、ネオンの灯が遠くなったところに行きつけのバーがある。今夜の終着点は、やはりここか。何を注文するわけでもないのに、勝手に出てくる酒を飲み、マスターいつもと同じ雑談をする。そうこうしている間に日付が変わり、2頭立ての馬車がカボチャに戻る時間がやってきた。今日はここまで、ここを過ぎず。

その夜の収穫は、景品でもらったベルギー製のガラスコップ。最初に入った飲食店で引いたくじの3等賞。1等でもなく2等でもなく、かといって外れでもない、平凡な当たりくじに妙に納得する。素朴で、しかもずっしりとした質感があり、ペン立てにちょうどいいかもしれない。

2008年12月23日火曜日

「ハリウッドをカバンにつめて」

映画制作を生業にしている人と話す機会があった。映画とは無関係の分野を研究していたのに、偶然に見た映画をきっかけにこの道に入ってしまったという。その映画の話から始まり、互いにあれが良かった、これが忘れられない、などと話しているうちに地球をぐるりと一周してしまい、あっというまに愉快な時間がたっていった。「映画は麻薬だということに気がついた。」と、サミー・デイヴィス・ジュニアは述べている。

わたしの記憶にあるサミー・デイヴィス・ジュニアは、ある洋酒メーカーのテレビコマーシャルで、打ち合わせのない数十秒間のアドリブで永遠にその才能を印象付けた希代のエンターテイナーである。しかしこの本を読むまでは知らなかったが、これまでに公開された1万本の映画のうちの9千本は観たという空前の映画マニアでもあった。仕事で映画、余暇でも映画、どこに行っても映画。人生の大半を映画とともに過ごした才人による、映画への情熱がぎっしりと詰まったのがこの本、「ハリウッドをカバンにつめて」である。

作品としての映画の話、映画界の話、生々しい欲望の話、家族の話や人種差別の話、映画を通じて理解する世の中のこと。それは映画という小窓から見た、半世紀に及ぶアメリカの歴史そのものである。これを読むと、サミー・デイヴィス・ジュニアがいう「映画がわたしの先生だった」ということの意味が非常に良く分かる。そう書くとなにやらこ難しい本のように思えるだろうが、どっこいそこは希代のエンターテイナーの語り口である。掛け値なしに面白い、どこから読んでも楽しい。何しろ、話の導入は「魔人ドラキュラ」であり、クリストファー・リーのエピソードなのだ。これほどの本が絶版になっているのが不思議なくらいの名著である。さらに言うと、清水俊二の翻訳のなせる技か、文体がハードボイルドで格好いい。

さて、空前の映画マニアが選んだベスト・テン。3から10までは観たことがあるが、1位の「男の敵」、2位の「進め竜騎兵」は未見。どんな映画なのか興味津々である。そしてサミー・デイヴィス・ジュニアが認めた映画マニア界のライバル、ジャック・ヘイリーがMGMを愛するあまりに制作したのが「ザッツ・エンタテインメント」。わたしはこの映画が大好きで、これを収めたビデオテープはもうボロボロである。今夜はこれを観ながら、映画の夢に溺れようか。

2008年12月20日土曜日

クリスマスソング



クリスマスが近い。わたしたちは同い年なので、つい昔話で盛り上がる。そして毎年のようにこの時期は、アイスクリームケーキのことを思い出しては笑っている。ともに小学生の時の記憶である。

テレビは盛んにクリスマス気分を演出し、大手の菓子メーカーはクリスマス用のアイスクリームケーキの宣伝をしていた。たぶん自分たちからねだって買ってもらったのだろう。わたしはイブの夕方にお遣いに出て、予約していたアイスクリームケーキを取りに行き、発泡スチロールのケースを両手に抱えて、ワクワクしながら帰ってきた。賑やかな食事が終わり、最後に楽しみにしていたアイスクリームケーキの登場である。家族みんなでそれを取り囲み、各自が食べたい部分を主張して、それでまた一段と座が賑やかになる。ところがようやく配分が決まり、包丁を入れる段になってから、コチコチに固まったそれはいっさい刃を受け付けないことが分かった。少し溶けるまで待ってみたが、柔らかくなったのは表面だけで、中はシベリアの永久凍土のように凍ったままである。最後には父が短気を起こし、包丁を火で炙り、熱くなった刃で何度も切れ目を作り、それでようやく切り分けることができた。皿に乗ったアイスクリームケーキは、長時間の格闘で形が崩れ、口に含むと包丁の鉄の味がしたものだ。それが理由ではないのだが、それ以降クリスマスイブに華やかな食卓を囲むことはなくなった。

似たような記憶を持つ者同士が、普段となんら変わらない食事をしながら、お互いの家族の絵に描いたような幸せな子ども時代を語っては笑い合っている。そして、それがクリスマスとは縁のないわたしたちにとって、一番のクリスマス・プレゼントなのだ。だから何にもなくても、この季節は好きである。

ずっと以前に、雪の降りしきる空港に到着した時のこと、ゲートが開くまでの短い間に、機内では風変わりなクリスマスソングが流れていた。どこかエキゾチックで、奇妙に心に残るメロディ。時々思い出しては歌おうとするが、意外に難しくてうまくいかなかった。Youtubeでそれを見ることができて、胸のつっかえが下りた。

岩波新書

岩波新書が創刊70年を迎えたという。著名人の推薦リストを眺めると、古い時代のものは学生の頃にだいたい読んでいた。もしくは、読んだ気になっているだけかもしれない。しかし最近のものには関心を失っているので知らないものばかりだ。

岩波新書との付き合いは長い。最初に読んだのは、梅棹忠夫の「知的生産の技術」だった。中学の国語教師から強く勧められたのがきっかけである。その次は、同じ年に平和憲法の布教に熱心な社会科教師の勧めで、「憲法読本(上・下)」を手に取った。それが社会科学分野の、人生最初の読書となった。中学生の本棚に、大人の本が並び始めた。背伸びをしたい年頃である。少年向けの本が気恥ずかしくなり、新書が増えるごとに子どもっぽい優越感に満たされた。

いまでも新書を手にする機会が多いが、たいていは古本屋の処分品のようなところから、わざわざ何十年も前のものを探して買い求めている。ひとつには、あの時代の教養主義に対する憧れがある。しかしそれ以上に、上品な装丁や目にやさしい紙質といった、今の新書とは異なる、モノとしての質感に魅かれているのだ。それほど熱心に読むわけでないのに、あると欲しくなり、それを並べて満足している。トシはとっても、精神年齢は当時と少しも変わっていないのだ。

これまで読んだ中で特に印象深いのは、上野英信の「追われゆく坑夫たち」である。炭鉱労働者をテーマにしたルポルタージュで、詳しい内容はすっかり忘れてしまったが、小奇麗なホワイトカラーばかりが住む街しか知らない少年にとって、心地よい布団をいきなり剥がされたような衝撃があったのは確かだ。時間を忘れて夢中で読んだものだ。最近読んだ中では、林屋辰三郎の「京都」。京都の歴史と地理をざっくりと知るに、最高のテキストである。そして、文章や写真が45年前で止まってしまっているのが素晴らしい。今の京都でなく、半世紀前の美しい京都を旅するのに最適の本である。

2008年12月19日金曜日

乾いた雑巾絞るが如く

世の中が好景気に沸いて浮かれていたころから、しょぼい暮らしを続けているので、景気が悪化してもたいして日常生活は変わらない。逆境に耐えられることこそが、庶民の強みという自負がある。しかし、袖を振っても無いものは無いのだから、せいぜいあれこれと工夫をして、暮らしへのダメージを最小限にしなくては思う。

今朝の新聞に、弁当箱の売れ行きが好調だと載っていた。誰も考えることは同じである。うちでも弁当の機会が多くなった。天気のいい日は、何人か誘い合って弁当持参のプチ・ピクニックである。威勢のいい若いもんは、腹が空くからとタッパー2個に日の丸弁当、残り1個に焼き肉。わたしは、昨夜の煮物とか、あり合わせの総菜を詰めただけ。中にはいつもカレーという偏屈な人もいる。人それぞれだが、弁当の日はそれなりに楽しいものだ。

電気代なんかも、いろいろ努力しているつもりだけど、まだまだ甘いと感じる。必要なものを削る必要はないが、なんら必要もないのに点けっぱなしというのは困る。例えばウォシュレットである。使わない時間帯は消しても構わないので、24時間タイマーをセットして、自動的に電源をコントロールさせてみた。日に6時間だけの停止だが、少しは役立っているのだろうか。

2008年12月17日水曜日

「興奮」


伊豆にある、いつもの温泉に浸かってきた。春と初冬のころの年2回、いつも温泉で読書するために行っている。とくに冬は周囲の木々が葉を落とすため、露天風呂に明るく光が差し込み、長湯をしながらの読書は快適この上ない。

今回持っていったのは、ディック・フランシスの「興奮」。競馬のドーピング疑惑を調査するために送り込まれた青年の物語である。実はディック・フランシスの描く主人公には、感情移入しにくいという欠点がある。なぜならば、娯楽小説の主人公であるからには「いい男」であるのは当然なのだが、必要以上に主人公の精神の強さが前面に描かれていて、それが逆に自分の欠点を指摘されているようで息苦しいのだ。凡庸な男にとっては、弱音を吐くヒーローの方が、読んでいて安心できるわけである。

そのわずかな欠点に目を瞑れば、すでに古典ともいえるこの小説は、誰にでも楽しめるミステリーである。そして物語り全体を支えるテーマ、すなわちどのような困難に遭遇しようと、何に換えても自尊心を守ること、その妥協の余地のない骨太な精神について思いを巡らせるのことになる。以前、イラクの独裁者の人質になったイギリスの少年が、腕を組んで一歩たりとも譲歩の姿勢を見せなかったことがあった。それを勇気として称賛するかどうかは別として、むしろ妥協のない強情さがイギリスの強さなのだと思った。

いまイギリス経済がどん底に落ちて行っているが、そのまま駄目になるとは思えない。ディック・フランシスの小説が好まれるあの国は、意外にしぶとく生き残ると考えるのが妥当だろう。そして更に、地球の東の端にも、名誉を何よりも重んじた国があったと聞くが、こちらの方はどうなってしまうのか心配である。

2008年12月7日日曜日

ガラスの器


子どもの頃に読んだ外国の絵本で、今でもときおり思い出す本がある。それは絵だけの本で、夏の日に仲間の動物たちが忙しく働いている中で、一匹だけ何もせずに空想にふけっている。しかしそれを咎める仲間はいない。そして冬籠りの季節になると、巣穴の中では、その一匹が仲間を前にして夏の日の太陽の話をして、みんなの心を温めている。

昨夜、知り合いの個展で展示作品を購入した。付き合いで気軽に買えるようなものでなかったけれど、気に入った作品でもあり、作家の手元で埃を被らせておくには惜しいと感じたからだ。そして、冬の日に真夏の太陽を語れる人を、わずかでも応援となるようなことをしたいと思ったのである。

このガラスの器を見た瞬間に、黄色のレモンやカリンを盛った様子を想像した。実際にそうしてみると、想像したよりずっと華やかになった。