2011年12月30日金曜日

カテゴリ「キッチン」


ブログに付けるタグを付け替えて、新しいカテゴリ「キッチン」を作りました。このブログのテーマは「暮らしの記録」なので、どうしても家事が中心となり、台所関係は独立させた方がまとまりがいいと判断したからです。思えば、寝室を除くと、一番長く過ごしているのは台所とダイニングなので、まあ当然と言えば当然でしょう。



「キッチン」のカテゴリを眺めてみると、我ながらずいぶんと書いていました。口先では料理はあまり好きでないと言いながら、毎日必ず料理のことを考えている。でも正直なところ、腕前にはさっぱり自信がないので、毎日の出来事のひとつとして書くのが気楽です。また気持ちとしては、読書とか、美術の話題を多く入れたいのですが、これを取り上げると時間がかかって投稿数が少なくなってしまいます。そのあたりが、当ブログの最大の悩みであり、来年の課題でもあります。それでもこのブログのつぶやきに、耳を傾けて下さる方がいる限り、できるだけ長く続けようと思います。

では皆様、よいお年をお迎えください。

2011年12月29日木曜日

今夜のひと皿


晩ご飯を、ひとり食堂で過ごすのも気が進まず、寒いことだし家で何か作って酒でも飲もうと考えた。食材が無いのは承知していたが、それでも冷食くらいあるだろうと冷凍庫を引っかき回すが、運悪く香辛料と凍ったパンしか見あたらない。他に心当たりは、災害用の缶詰と、ベランダに保存したイモがあるだけ。

なんと賞味期限の過ぎたサカナの缶がいくつか見つかったので、これにイモを合わせてなんとか調理しなくては。それで思いついたのは、イモを焦げ目が付くまでカリッと焼いて(こんな風に)、反対にひっくり返したその上にサカナを並べて更に焼くというアイデア。缶に残った油も染みこませると、フライパンから複雑で香ばしい匂いがしてきた。ちょっと見かけは悪いけど、おおっ!これはいけるぞ、酒が旨いぞ!

腹が減っていたので、あっという間に料理を平らげてしまったが、これにシブレットやバルサミコを使えば更に良かったろう。きっと料理の生臭みを程よく抑えたはずだ。後で確認のためにレシピを検索すると、同じようなアイデアがたくさんヒット。料理の文法に従う限り、みんな似たレシピにたどり着く。それから、家庭料理といえ少しは見栄えもよくしなくては。


2011年12月26日月曜日

私の好きな料理の本


雑誌「考える人」今月号で、「私の好きな料理の本」というリストが掲載されていた。想像通りの本もあれば、これはぜんぜん知らなかったという本もいっぱいあり、ここに挙げられた料理本のリストがじつに興味深かった。もっとも、自分ではふつうの実用書に対して、好きも嫌いもないという感覚がある。必要な調理法を調べて、作ってしまえばハイさようなら、という接し方がほとんどだから。

ただ、それで簡単に本を捨てられるかというと、案外とそうでない。料理本には格別の愛着があるのだ。あちこちにマーカーが引かれ、ポストイットが貼られ、ところどころソースのシミなんかが付着している。汚れてかび臭くなった本の中に、過去の食の記憶が閉じ込められている。ちょうど愛用の辞書と同じかもしくはそれ以上で、必要もないのに捨てられないのが料理本だ。

わたしのそんな一冊に「おそうざいのヒント365日」がある。材料と調理法が簡潔に述べられただけの、無味乾燥の料理集。調理すべき材料があれば索引から逆引きして調理法を探すという、あたかも辞書のように使えるハンドブックだ。ふつう料理というものは、疲れて帰って冷蔵庫を覗き込み、決まって期限の切れた卵とか萎びた白菜しかなくて、腹も減ったしさてどうしたものか、というところから始まる。そういう時に、チャラチャラとしたクッキングブックなんてまったく使い物にならない。腹減って、切羽詰まって始めるのが料理であり、ここで役立つのが本書なのである。

駆け出しの頃、妻より先に帰宅することが多く、いわば成り行きで料理当番となった。それから本書をいつも参考にして、端からメニューを潰すように総菜を作っていった。そして何年か掛けてひととおり作り終え、やっと料理とは何かがおぼろげに理解できた。美味しい料理を作る本はいくらでもあるが、毎日の実践で繰り返し料理を学ぶ本はあまり見ない。誰もが習得すべき総菜料理を、ごく自然に習得させる実用の名著として「私の好きな料理の本」のひとつに挙げたいと思う。

2011年12月25日日曜日

ささやかなプライド


ある映画で、ストリートギャングの女が、電車の向かいのシートに座る裕福な女の靴を見て、足をすっと引っ込めるシーンに感銘した。以前にも書いたことがあるだろうか。絶望的に貧しいが最低限のプライドは守りたい、という気持ちが痛いほど伝わる場面だ。わたしは他人の靴を、さりげなく観察する癖がある。上等かどうかじゃなくって、きちんと手入れされているかを確かめるために。そして靴の状態で、暮らしぶりや心の状態などをなんとなく想像している。

靴の補修剤が切れたので、久しぶりに売り場に行ってみると、いろいろな種類のものがずらりと並んでいた。ご時世なんだね。街中にも靴の修理屋が、それもちょっとオシャレな感じのが増えてきて、しかもいつも忙しそうにしている。そういう店のひとつに、靴の大修繕を頼んだことがあるが、できばえは上々で、しかもずいぶんと低料金だった。

で、今回選んだ補修剤は上の写真のもの。黒でも白でもなく、ナチュラルという、生ゴム系の靴底に馴染む色にした。補修したあとも、ごく自然な感じでぜんぜん目立たない。新品の靴を履く前に、すり減る部分を保護する感じで使うと効果的だろうと思う。

2011年12月24日土曜日

つらつらと考えるに


秋から朝ドラ(我が家では深夜ドラだが)を見ているが、舞台はいよいよ戦争末期に入って、こっちも見るのに気が進まなくなってきている。ただのお話に過ぎないというものの、やはり当時の世間の空気を想像すると、どこか落ち着かない気分になる。それは戦争はいかんという単純な話でなくって、目標を失った国家が、ただひたすら権力を行使するためだけに存在し、国民が否応なく巻き込まれていくという悲惨に、ちょっと今の状況に似すぎていると思うから。当時でも、国民が承認する理想を掲げて戦争を始めたのであり、その途中で敗北が明白になったにもかかわらず、誰もが損失と責任を先送りにし、最終的に本土攻撃で国中が焼け野原になるまで、戦争の幕引きを行えなかった。国だろうと企業だろうと、組織はいつだって同じパターンで破綻する。大きな目標は大きな組織でしか達成できないが、いったん組織が肥大化すると、必然的に存在することそのものが目標になってしまう。当初の目標が遂げられたとき、もしくは遂げられないと分かったときは、組織は速やかに解体すべきものなのだ。意味もなく存在し続け、国民全体を巻き込む愚を繰り返すことだけは避けなくてはならない。

であるから、東京電力の存続は認められない。絶対に嫌だ。大甘の災害予測と緊張感なき経営で原発を一度に4基も吹き飛ばし、その瞬間に会社の命運は尽きたのだ。以前にも書いたように、失敗した組織に同じ事業を続けさせてはいけない。それが重大な国益と結びついている場合はなおさら。もし技術的に会社を存続させる必要があるというなら、人をすべて入れ替えなくては容認できない。そして明確に破綻を宣告し、新しいメンバーで発電事業をやり直すというメッセージが出ない限り、国民はおろか支援してくれた外国の人たちの不安も解消されないだろう。

東電に賠償させる必要はない。その代わり長年、原子力政策を支持し、恩恵を受けた全国民が税金で負担すれば済む。当事者能力を欠く東電が存続するよりずっとまし。電力が不足して、生活水準が低下する?結構だ。仕事が済んだらすぐに家に帰り、ロウソクの光で食事をして、さっさと寝ればいいじゃない。景気が悪化して税収が減る?ならば政府をスリムにして、支出を切り詰め、それで駄目ならバンザイすればいい。年金はどうなる?とっくに結論は出てるのだから、老親と身を寄せ合って慎ましく暮らせばいい。今の暮らしからすると辛いだろうが、先のドラマで描かれている戦時下の暮らしと比べるとずっとまし。悪くて数十年ほど逆戻りするだけ。この先我々はどうなるのだろうかと、不安を抱えてズルズルと生き続けるより、清算すべきものは早めに清算して、さっぱりとした気持ちで次の若い世代にバトンタッチするのが国民にとって一番いいと思う。この国を若返らせる以外に復興の道はないし、それが近道だと信じている。

2011年12月23日金曜日

若さについて

いつも心底から感心するのだけど、芸術家という人たちは、年をとられてもみなさん驚くほど若い。確かに体は年齢相応だが、お顔に艶があり、巧みな表情があり、頭の回転が速くしかも語彙が豊富だ。若く瑞々しい魂がしっかりと存在し、その空間に新鮮な雰囲気を振りまいている。別の言葉で表現すれば、人物に華やかな色気を感じるのである。肉体は若いが、魂は濁って堅く老化している人が多い中で、これはちょっと驚くべきことだ。

今日テレビで見た画家・堀文子も、その典型のような人物だった。なんといっても90を超えて、なお好奇心を枯らさない生き方に圧倒される。彼女は言う。旅をするのは自分を慣れさせないためだ。慣れるとものが見えなくなるからだ。もちろんその言葉には共感するが、もし自分が90歳になったとき、いやせめて60歳になったときに、自信を持って同じように言えるかというと、ちょっと無理かもね。「慣れる」ということは、いわば省エネ運転を可能にする、人間の知恵の産物だから。年をとってから獲得した「慣れ」を、わざわざ否定して生きるというのは、想像以上に馬力の要る大変なことだろう。

なぜ芸術家はそろいも揃ってみな若いのか、度々考えてきたが、結局のところ、堀の「群れない、慣れない、頼らない」という言葉に集約されていると思う。芸術家は、孤独な自己変革を強いられる人たちである。同じ繰り返しが許されないからこそ、いつまでも若々しい。単に手作業しているからとか、いつも何かを考えているからとかいう、そんな表面的なことじゃないんだ。理想を述べれば、長生きしなくても寿命を迎えるまでは若々しい存在でありたいと思う。しかし凡人にとっては、そもそもどうやってという方法論こそが一番の問題。正月に美術館行って以来ちょっとご無沙汰だったので、せめてこの週末は美術館に行ってみよう。作家たちの魂に触れてみようと思う。

2011年12月20日火曜日

変わる風景


風景が変わったと思う。路上で、カフェで、電車で、レストランで、老若男女を問わず、みんなが小さなディスプレーを覗き込んで、忙しくボタンを押し続けている。常に何かに追い立てられる時代、誰にでも一刻を争う用事があるものだ。だが、先日とあるレストランで料理を待っていたあいだ、周囲を見渡すと客の誰もが俯いて指を動かしていたのには、さすがに絶句した。テーブルを挟んだ何組もの男女が、ほとんど会話もせずに、ディスプレーの描き出す画面に夢中になっていた。

今は、一時そういう風潮なのだろう。しかし、たまの贅沢な夕食で、注文した料理が運ばれるまでの間、どのような調理で供されるかを語らう楽しい瞬間をふいにするほどに、レストランに集うみんなに重大な用件があるとはとても思えなかった。そして肝心の料理が供されると、今度はその匂いを楽しむより先に、さかんにデジタル写真に納めるのに熱中していた。正直なところ、彼らのそういう行動がほとんど理解できなかった。

果たして、わたしたちは以前より幸福になったのか。そして、これからもっと幸福になれるか。産業革命の時代に、鉄の塊にハンマーを打ち下ろした男たちも、そのように自問自答したことだろう。外国のどこかの時事サイトの記事では、今年一番満足した買い物というアンケートでアップル社のデジタルガジェットが首位を占めていた。さもありなん、つい最近も、一回りや二回りも年上の知り合いたちから、それが如何に便利な機器であるかという懇切丁寧な説明を、立て続けに受けたのである。PDAを持たずば、もはや現代人にあらずという扱いだ。

半世紀前にテレビが出現したとき、ある著名な評論家は「一億総白痴化」という警句を吐いた。大量の画像情報が果てしなく垂れ流され、その内容を吟味する隙を与えないメディアの特性を指摘したのだろう。その喩えに習うならば、昨今のPDAなぞは「一億総貧困化」という言葉が似合う。先日のように、大切なディナーの時間に、楽しい会話の代わりにネット情報を読むのに費やしたり、相手の顔を見つめることもせず、俯いてボタン押しに熱中するのにどんな価値があるのか。決して取り戻すことのできない貴重なひとときを、こんな馬鹿げたことに費やすほど、生きるに退屈するほどのゆとりがあるとでも言うのか。PDAを見つめている時間の分だけ、私たちの人生は却って貧しくなってしまうのではないか、わたしはそのように危惧している。

以前「ニュートン」と名付けられた風変わりな情報端末があって、ほんの少しの間だけ触ったが、ほとんど実用性がなかったと記憶している。もう17年くらい前の話だが、小さな虹のリンゴマークが付いていて、いま人々のポケットの中にあるiPhoneのご先祖さんでもあったらしい。遠くない将来、その端末は進歩して誰もが手軽に持つようになるだろうとは想像したが、まさか自分がまったく関心を失っていようとは、その当時は想像もしなかった。せめてデスクの前に座らない時間くらいは、自分だけの個性的な時を過ごしたい。

2011年12月17日土曜日

いまさらのカーナビ


東京でクルマを運転してながら、滅多に首都高を走ることがないため、たまに乗り入れるとひどく緊張する。それで数年前にポータブルのカーナビを取り付けたが、目的地は大抵決まっているし、ナビを便りに幾度か走ると要領を覚えてしまう。しかもドライブが趣味というわけでないので、遠くの知らない場所に行く機会もなく、せっかくのカーナビの役目は早々に終わってしまった。

使わない機器が目の前にあると邪魔なので、取り外して計器周りをすっきりさせようとしたが、あまりにもったいないのでその前に取説を熟読してみた。いや正確には、取説を読んだのは初めてだった。そうすると、これまで不満だった点が、設定次第で解消できることが分かったのだ。画面上の不必要な情報を消して、必要なものだけを見やすく表示させ、いくつかの便利な操作を覚えたら、意外に非常に使いやすいカーナビになった。

更に、オプションのメモリを入れれば走行記録が残り、そのデータをグーグルマップに読み込ませて、地図上に走行痕跡を表示させることができた。くわえて、取り外して持ち歩くことも可能で(だからポータブルなの)、町歩きの有能なガイドになることを知った。東京の街は果てしなく広がり、しかも複雑に入り組んでいる。自分の暮らしている小さな範囲でも、ひとつ角を間違えると簡単に迷ってしまう。わたしが漫然と道案内にしか使っていなかったカーナビが、誰よりも有能な助っ人だったとは、恥ずかしくも今頃気づいたわけなのである。

今日もウォーキングのお供に連れ出し、戻ってからグーグルマップに本日のコースを記録した。それを子細に眺めて、次回はこの角からこの道を辿ってなどと、新しいコースを考えて楽しんでいる。むろん大多数のユーザーは当たり前に承知しているのだろうと思うけど、なにしろわたしは10年以上乗っている今のクルマで、つい最近になってフォグランプが付いていたことを知ったくらいの大の取説嫌い。それでもやはり、取説は読まないと損をするというありきたりの話。

2011年12月13日火曜日

冬の節電事情

今月の電気使用量、204kWh。冬になって暖房費が若干嵩んできている。前年同月比8%減だが、去年は月半分が不在だったので実際は先月と同様、20%くらい減っている勘定である。

夏から使い始めた新しい冷蔵庫の節電効果を見てみると、電気代にして毎月約1000円程度、コンスタントに安くなっている。単純計算するとお代は5年でチャラということになり、各種節電対策でも語られているとおり、新型冷蔵庫への取り替えは環境にも財布にも優しいという結果が出た。先代は約20年使用したが、我慢せず少し早めに取り替えれば良かったと反省している。

それに引き替え、今年は例年に比べ、ガスの使用量が急激に増えている。震災の少し前からエアコンを止めて、代わりにガスストーブを使っているからである。話によると、冬場の暖房のほうが電力消費にかかる負荷が大きいという。確かに雪の降る日なんかは、エアコンを回す割に暖かくならないが、その点ガスや灯油を燃やしている方が格段に暖かい。

先日から政府の節電要請が始まった。これまでは生活信条として自主的に節電をしてきたが、選択の自由のない状況で節電するというのは、ひどく窮屈に感じる。そして原子力発電が事実上閉ざされた状況で、原油や天然ガスの価格高騰に耐えながら、そのうえ暑さ寒さまで我慢しなくてはならないとは大変だ。今年の寒さは、去年とは違った意味で辛いかもしれない。

2011年12月11日日曜日

誰のために作るのか


料理の意識調査レポートを読んだ。その中の「誰のために料理をしているか」という問いで、男性の半数近くが「自分のため」と回答していることを引き合いにして、男性は自己中心的な動機で料理していると分析していた。そういうものかなあと、微かな疑問が沸く。なにか先に結論ありきの調査のような気もするのだ。

料理は家事の一環として毎日しているが、正直に言うと、もし専属の料理人がいるならば、料理はすべて任せてしまって自分のしたいことをしていたい。料理そのものが嫌いというわけではないが、こう忙しいとやはり面倒だ。そういう面倒な作業を毎日続ける動機は、やはり「自分のため」としか答えようがない。もちろん妻も一緒に料理するが、おそらく彼女も面倒だと感じているだろうからこそ、この作業を相方に一方的に押しつけるわけにはいかない。少なくとも自分の食べる分は自分で作る、というのが生活の基本だと思う。それを以て、自己中心的というのならば、確かにそうである。

「料理をするにあたって意識すること」という調査項目では、多く人が、おいしい料理を心掛けると回答していた。それはまあ、ことの性質上当然だろう。意外だったのは、コストを考えて料理する男性が、極めて少ないという点だ。女性を含めても、なお半数に届かない。わたしの場合は、真っ先にコストの制約があり、そのなかで料理を工夫するという順序なので、半数以上の人がコストを無視して料理するという結果が信じられない。家事というものは趣味で続けるものではなく、あくまで普段の仕事と同じ感覚でないと拙いのではないだろうか。

とはいうものの、食べることは大好きなので、やはり料理も楽しくしたいものだ。だから、料理をゲームのように考えるのも一手なのである。その時一番安い食材で、どれだけうまい料理を作るかゲーム、同じ食材でどれだけ違う料理が続けられるか出来るかゲーム、誰も手を出さない珍しい食材を使い何が出来るか試すゲーム、とか考える。そして限られた条件でいろいろとチャレンジし、料理の幅を広げるのも一興である。そうやって、ときおり相方が目をくるくる回して、幸せそうに料理を食べるのを見るとき、料理が出来て良かったと思うのである。結局のところ、「料理は自分のためならず」なのである。

写真は「山ほど送られてきた芋を、どんだけ食べ続けられるかゲーム」の、ある日の料理。芋をみじんにして、ベーコン、大蒜、タマネギと合わせてホットケーキのように焼いた。ビールにぴったり。


2011年12月3日土曜日

今朝のこと

早朝の冷え込みに凍えながら、薄暗い中で着替えをしているところで地震に襲われた。微細な振動が始まったと同時に、部屋のあらゆる方向からモノのぶつかり合う音が聞こえはじめ、「あの時と同じだ」と冷たい予感が走った瞬間、2台の携帯が同時に緊急警報を発し始めた。窓の外では、カラスたちが怯えたように鳴き騒いでいた。慌てて着替えを済まし、直ぐにテレビを点け、ニュースを見ながら本震を身構えていたら、今度は何事もなかったように再び静かになった。

以前はそれほどでなかったのに、今は地震がひどく恐ろしい。兵庫県南部地震の時は、喩えとしては適切ではないだろうが、何か突発的な不幸のような印象があった。しかし、春先の大地震では、これから想定されるいくつかの巨大地震の時限スイッチが入ってしまったという気がしている。もちろん、わたしは人より心配性なので、ただの思い過ごしであったらと強く願っている。だが、どうやら専門家たちのなかでも、少なからざる人たちが強い懸念を有していることも気になる。仮にもし、今朝の地震が予想されているような大規模な直下型だったら、関東地方だけの自然災害では済まず、今のタイミングだと世界経済を巻き込む災害になったにちがいない。そのように想像するだけで、胃がギュッと冷たく収縮するのだ。

東北では復興景気に沸いているらしいし、東京でも高層マンションが順調に売れていると伝え聞く。近所でもミニ開発の建売住宅がたちまちに完売し、若い入居者たちが新しい生活を始めていた。そんな経済の楽天的な強さは歓迎すべきだろうが、わたしはまだそういう気にはとてもなれない。もうちょっと辛抱したあとでも遅くはないのではと思っている。

そういうわけで年末の帰郷は、万が一を考えて飛行機にした。新幹線にしろ、クルマにしろ、陸路を行くのは出来るだけ避けたかったのだ。そういえば、翌3月12日の早朝便を予約していて、結局その日は欠航になってしまったことはまだ記憶に新しい。例年と変わらない、穏やかな正月が迎えられればいいのだが。