2008年8月20日水曜日

千鳥足で

今年の夏も終わるんだ。そう思ったら急に「風の歌を聴け」を読みたくなり、本棚をかき回してみたが、背伸びをしなくては遠い場所の、それも2段並べの奥のほうに仕舞ってしまったらしく、どうやっても出てこない。仕方なく、足元に残土のように積み上げた文庫本を元の棚に戻しながらふと見ると、その中に沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」が混じっていた。これ面白かったんだよなと、パラパラとめくっているうちに、いつもの悪い癖で、だんだんとページの深みにはまっていった。

「ぼくも散歩と古本がすき」という章で、「植草甚一スクラップブック」が取り上げられ、ああ学生のころ何冊か買って読んだなあと思いだし、その当時の、今はわたしもよく通っている古本屋にJJさんが何時もいたというエピソードに、当時の様子を想像して楽しくなった。あの冴えない小さな町の、取り立てて見るべきものもない平凡な商店街を、とびきりサイケな格好をした得体の知れない男が歩き回っていたのだから、そりゃ目立ったろうな。

とりとめもない想像をしながら読み進むと、古本屋の山王書房の話になり、そこに野呂邦暢のエピソードが加わってくる。覚えのない名前だったのでその場で検索すると、早世を惜しまれた小説家であり、向田邦子が最後に手掛けたテレビドラマの原作者で、昭和55年の春、向田と初めて会ってその10日後に亡くなったという。向田はいきなり殴られたような衝撃を受けるが、その年の8月、彼女自身も帰らぬ人となってしまった。そういえばもうすぐ命日、例年ならば彼女のエッセイを読んだりするのだが、今年は趣向を変えて、野呂邦暢の小説を読んでみようと思う。きっと、心に残るいい作品に違いない。「風の歌を聴け」は発見するまでしばらくお預けだが、行きつ戻りつ、酔っ払いの千鳥足のような読書は、どうしても止められないのである。

2008年8月19日火曜日

「友だちのうちはどこ?」

キアロスタミの映画を観た。暴力もなく、性的な描写もなく、笑いすらほとんどない、ないない尽くしの映画だけど、その代わり静かな時間の流れがあり、誠実があり、微細な感情のゆれがある。この監督の作品は、それほど多くはないけど、わたしにとってはどれも大切なものばかりだ。

「友だちのうちはどこ?」は、遠い国の、山間の静かな村の、ごくありふれたエピソードが綴られた映画である。ある子供が、友だちのノートを間違って持って帰り、慌てて隣村まで返しに行こうとするだけのお話し。しかし、描きたかったのは、永遠の時間の中で、波が打ち寄せては引いていくような、何十億という人生の限りない繰り返しではなかったろうか。映画の中の子供の体験する一日には、学習があり、労働があり、休息があり、不条理に対する恐れや悲しみを感じ、失望すらも味わうことになる。人が一生に体験するこれらのことを、子供の一日という時間の中で繰り返し体験させる。そして翌日には再び同じ一日を過ごし、さらに同じ時間を今度は誰もが一生をかけて繰り返す。それが人生だよ、人生!

それにしても、キアロスタミの映画は強く印象に残るシーンがとても多い。とりわけ後半部分の、坂に立つ集落の夜の幻想的な美しさは、神聖な絵でも見ているような気になるし、風の吹く中を主婦が洗濯物を取り込むシーンは、味わったことのない名状しがたい感情が湧き出してくる。いったいどういうところから、あのような発想が降りてくるのか、神秘的ですらある。黒澤明が生前、キアロスタミについて「天才というのは、最初からうまい写真を撮るもんだよ」、というようなことを言っていたのを思い出す。

2008年8月17日日曜日

建築のことなど

わたしたちは、もちろん自分自身も含めて、欲がないというか、欲望を育てる粘りがないというか、じつに欲に淡白な民族だと感じる。たとえば、何かを欲しいと思う。しかし、それはたいてい他の人が持っているからとか、持っていないとみっともないとか、自分の心の中から湧き上がる感情とは無関係の、宙を漂うような欲望である。だから、常にほかの誰かの欲望を借用し、それが当たり前のことのように錯覚して、あまりにも簡単にその欲望を実現しようとする。そして、いったん実現すると、すぐに忘れて再び誰かの欲望を借用することに一生懸命になる。あてもなく宙を漂う、ストーリーのない人生。そういう人たちが多数を占める社会では、幸せを感じる人が少ないというのは当然の話なのだ。

こんなことを考えるようになったきっかけは、昔読んだ「笑う住宅」という本だった。そこには、借り物でない自分の欲望に忠実な人たちによる家作りや、普通に流通している素材を流用して、安価にかつ個性的な家作りをする方法などが紹介されていた。そして、一国一城の主になるということは、パンフレットを眺めたり住宅展示場に行って電卓を叩くことではなく、どうすれば自分にとって幸せで楽しい人生が送れるかという、粘り強い問いかけの果てに実現されるべきものだということを学んだ。そのことは決して家作りだけではなく、人生全体を通じて問われるべきことがらであり、そのためには自分の欲望が何で満たされるかを知り、その前提として何よりも「楽しむ」という能力を磨かなくてはならないのだ。

きょうは珍しく涼しい天気だったので、著者の石山先生の展覧会に行ってきた。本を読んでからずいぶんと年月がたち、わたしの知らない間に活躍の舞台は日本を越えて全世界に広がっていた。そして、どの作品も力強い生命力に溢れ、個性的な造形の中から作り手の表現する喜びがひしひしと伝わってくることに感動した。同時に展示されていた数多くのドローイングは、どれも強いインスピレーションがあり、それらを表現するため絶え間なく手を動かしている作家特有の迫力も感じられた。さらに、会場の一画に展示された版画のすばらしさは特筆ものであり、通常の意味での建築家の枠を超えてしまっている人であることを実感した。

たまたま昨夜は、丹下健三の建築を取り上げた番組を見ていたが、日をおかず両者の建築を並べて見れて、その特質を知る上で非常に参考になった。丹下は国家が伸び盛りの時代の、権力の合理性の美的表現者として求められた建築家だった。これに対して、石山は、近代的権力が求心力を喪失してモニュメントが不要となった時代の、いわば縄文的な日本人の地金の部分を刺激し活性化するのに求められる建築家なのではないだろうか。近代的権力は予測可能性を担保する力であるがゆえに、「揺りかごから墓場まで」というスローガンで、社会のみならず個人の欲望まで制度化しようとした。しかし将来の行方が見えなくなり権力が弱まってしまうと、制度に組み込まれた欲望は、いやおうなく個人に払い戻される。そこから生じる混乱を救うのは、統制の取れた機能的な美しさではなく、おそらく「どんな状況下でも楽しめる能力」に裏付けられた個人の粘り強い欲望の力だと思う。

ニュータウンの町並みに安らぎが感じられないのは、そこが「持ち家政策」と借り物の欲望によって、淡白に作られた影の薄い場所だからである。希薄な欲望でできた町には、生きた人間をつなぎとめられないのだ。逆に混沌とした旧市街に安心感を感じるのは、そこが雑多で濃密な欲望によって、いわば自然に出来上がった場所だからであろう。だから、さまざまなところで政策の力で町を活性化しようとする試みがあるが、それが従来的な手法に従ってなされるならば、おそらく失敗するのではないか。町づくりの基本は、如何にして、強い個人を育てるかにあるはずだ。

2008年8月16日土曜日

オクラの花

「親の小言と茄子の花は千にひとつの無駄もない」 、という諺どおり、ナスの花が咲くと必ずといっていいほど実をつける。しかし、実際に栽培するとよくわかるが、鉢やプランターに植えたナスには嫌というほど虫がつく。運悪く虫がつくと、それまでの努力は水の泡。殺虫剤を使うと話は早いが、自分の口に入れるものに殺虫剤が残ると怖いので、結局は手作業で駆除しなくてはならない。その手間隙を考えると、よほどの拘りがない限り、ナスは買ってきて食べるものという結論に落ち着いた。

ナスほどではないかもしれないが、オクラも律儀に実をつける植物だ。それに加えて、ナスと同じ環境で比較した訳ではないので断言できないが、オクラは虫がつきにくいという特徴があるようだ。なので、実際のところ、ナスよりよほど「千にひとつの無駄がない」植物かもしれないと思う。そしてナスの花も可憐で悪くないが、オクラの花の美しさはちょっと格別なのだ。たとえ実をつけることがなくとも、花だけでも十分に楽しめるというのは、ベランダ園芸家にとってはうれしい話である。

毎日のように花が咲き、それからしばらくたってかわいいオクラの実が取れる。ほんの少しずつなので、食卓の主役を飾ることはないが、それでも育てたぶんだけのお返しが得られるのは、気分のいいものである。刻んで冷奴に乗せたり、一杯分の味噌汁の具になったり、サラダの隅っこに隠し込んだりと、意外に活躍のフィードは広いのだ。今朝は珍しく、3本ものオクラが同時に収穫できたので、何を作ってみようかといろいろと考えているところ。

2008年8月15日金曜日

終戦の日

春先の旅行の際、いくつか訪ねた街の様子が、どこか妙に安っぽい気がした。どうしてなんだろうかと調べてみると、いずれの街も先の大戦で街が壊滅したらしい。どちら側からの爆撃かは知らないが、それで古い建造物がすべて崩壊した後、戦後復興の際に住宅需要を満たすためコンクリート造りの急ごしらえの建物がたくさん作られたというわけだ。

町並みというのは、そこに住む人たち歴史そのものであり、街自体の貴重な記憶でもある。それが一瞬にして失われてしまう、近代戦争のなんと残酷なこと。人の生きる証と街の記憶とは、切っても切り離せないほど密接な関係なのに。同じような経験は中欧の美しい古都でも経験した。建物の大通りに面した部分はそれなりに立派なのに、裏に回ると一転して醜い灰色のコンクリートで建物は覆われていた。住人に理由を訊くと、やはり戦争で外壁を残してほとんど消失してしまったからだという。投下された爆弾が屋根を突き破って、建物の裏半分を吹き飛ばしてしまったらしい。そのあたりの事情は、映画「第三の男」の描写にも現れていたように思う。

さてわが祖国、以前たまたま覗いたウェブサイトで、わたしの住む地域から見た大空襲の様子を読んだ。小高い丘に建つその家の二階からは、下町から竜巻のような真っ赤な炎の柱が幾本も空に向かって伸びていたのが見えたそうである。そして、何かが燃える音と人の悲鳴が混じった不思議な音が、何キロも遠くまで伝わって聞こえたということだ。

今その近辺を歩くとき、なにかその当時の痕跡が残っていないかと注意するが、一度もそれらしいものを発見することがなかった。ただ、ほんの何十年か前に、竜巻状の炎の下にいた人たちのことを思うと、表現しようのない悲しみが感じられるだけだ。何もかもがさっぱりと燃えてしまって、そこに生きた人たちの記憶が何も残っていないことに、よりいっそう戦争の無残を思うばかりである。

ペンダントライトの悩み

ペンダントライトの拭き掃除をした。アルミの羽が重なり合い、複雑に入り組んでいるため、かなり面倒くさい作業。長年にわたる電球の発熱で、内部の塗装が焼けて黄ばんでしまい、いくら拭いても元通りにはならない。一枚目の写真は、ライトの下からの撮影。二枚目のは、電球ソケットを取り外して、上から覗き込んだ撮影。通常では見えないところまで、一切の手抜きなく、美しく丁寧に作られているのがわかる。

今までいろいろな買い物をしてきたが、その中で感動したことというのは、実はそれほど多くはない。その数少ない感動した買い物の一つが、このペンダントライドだった。百貨店から届けられた外函を開けて、大きく広がった羽を取り出したとき、その彫刻的な美しさに、恋焦がれてようやく手に入れることのできた満足感で一杯になったものである。

最近ちょっと困っているのは、電球型蛍光灯への切り替えをしたいのだが、これに見合った製品が見つからないことである。一つは、電球型蛍光灯では、このペンダントライトに必要十分な明るさが得られないという点。何しろアルミの羽で内部反射させて間接照明にするので、通常より明るい電球でないと困るのだ。もう一つは、電球型蛍光灯では、電球に比べて光が汚れて見えることだ。蛍光灯の性質上仕方のないことだが、これはひどく気になる点である。このライトがデザインされたころは、電球を使ったときに、一番美しく見えるように考えられていたのだろう。蛍光灯を前提にしたならば、そのデザインもまた違ったものになっていたはず。

さて、あと数年で、電球の生産が中止になるという。悪いことに、我が家のペンダントライトは、なぜか電球の消耗が激しいので、それを見込むとあと4ダースくらいの備蓄が必要になる。まったく、どうすればいいのやら。発光ダイオードの電球なんて、ずいぶんと高価だけど、どんなものなんだろうか。

2008年8月12日火曜日

昼ごはん

今より子供に厳しい時代だったせいか、寝坊はだめ、夜更かしもだめ、偏食もだめ、テレビは原則8時まで、何が何でも日暮れまでには家に帰ること等々、いつも口やかましく言われて育った。そして夏休みともなると、それがいっそう厳しくなって、早く学校が始まってくれないかなあ、なんて思っていた。だから、早く大人になって、自由気ままに暮したいと願ったものである。

誰からも文句を言われない大人になったわけだから、今日の昼ごはんは気ままに、コップ酒とチキンサラダのサンドイッチ。サンドイッチには粒胡椒を利かせ、コップ酒には氷を放り込んで、一時の暑さ凌ぎをする。本当は水風呂に浸かりながら食べたいのだけど、それでは行儀が悪すぎるので、風の通りのいい場所に座って食事をした。少し酔っ払って、夏風に吹かれ、セミの声を聴きながら思い出すのは、やっぱり長い夏休みのこと。

今となって思うのは、ボクはかなり親孝行な少年だった。だって、夏休みになって、オヤジが海に行きたいといえば黙って付いて行ったし、富士山にご来光を見に行きたいといえば、途中でへばることなく最後まで付き合ったし、合気道の練習相手にもなったし、キャッチボールだってしてあげた。そりゃボクだって楽しかったけど、オヤジは絶対にボクの何倍も楽しかったはずだ。それを一度父に確認したいと思っているのだが、果たして父は覚えているだろうか。それから親孝行らしいことをしていないので、いまだに訊けずにいるのである。

2008年8月11日月曜日

テレビコマーシャル

「エコ替え」というコマーシャルを見た。白熱電球を電球型蛍光灯に取り替えるように、クルマだって省エネタイプに買い替えましょう、という内容だ。我が家でも、ほとんどの白熱電球は電球型蛍光灯に入れ替わったが、しかし、電球と同じようにクルマも買い替えるというのは、到底納得がいかないのである。

去年のこと、車齡10年になる我が家のクルマが、事故に遭遇して重いダメージを受けた。保険でカバーできるとはいえ、新車が買えるほどの修理代がかかるので、買い替えのタイミングとしては悪くはなかった。しかし、小さいくせにハイオクガソリンを大食いするクルマとはいえ、たったの10年で廃車にするのは心が痛むことだった。理屈として通る話しでも、感情的に受入れられないのだ。

いろいろ迷ったあげく出した結論は、買い替えによって大量の産業廃棄物を作り出すよりも、不完全であっても今あるモノを大切に使う方が、よほどエコではないかということだった。そして排ガスがCO2の増加に寄与しているというのなら省エネ運転を心がけ、もし代替手段があれば運転を控えて、化石燃料に頼らないクルマが出現するまで辛抱強く使い続ける決心をした。素人考えだというのは承知の上、ただ大量の資源とエネルギーを使って出来たクルマを、目先の燃費がいいからという理由だけで捨てるのは、どこか本末転倒だと感じたのである。

そして更に思うのは、広告主である世界最大の、それ相応の社会的責任を有する自動車会社らしからぬ、内容の薄っぺらなコマーシャルを流してよしとする企業体質なのだ。わたしのような素人でも、買い替えによる社会的な影響を心配するご時世である。まして自動車産業のすべてを把握する立場にある企業が、広告でそういう問題意識すら見せないとすれば、まともな消費者の信頼を得ることはあり得ないのではないだろうか。企業価値は消費者の信頼抜きには成り立たないはずであり、その信頼は企業の置かれた問題についての率直さを抜きには育たないと思うのである。

少なくとも、電球の取っ替えと同じレベルでエコを語るより、自動車会社の苦悩を語る方が遥かに好感が持てただろうし、世界のトップに躍り出た会社に相応しい貫禄をみせてもよかったのではと思う。そして、それが地球環境を語る番組のスポンサーであるなら、なおのことなのである。

2008年8月8日金曜日

休日の仕事

むし暑い夜をやり過ごそうと、友人に飲みに行かないかと誘いの電話を入れたら、「いやあ、明日から1週間ほどロンドンなんだ。」とつれない返事をもらう。このところ夏休みを安近短どころか、家で大人しく過ごす人たちが増えているという話があり、一方で遠くまで旅行する人たちはむしろ増加しているという話もあり、確かに、二つの話をつなげるとその通りかもしれないと思った。つい最近も、「将来的は旅客機を使って遠くまで旅行するのは夢物語になるだろうから、少々お金が掛かっても今のうちに楽しんだほうがいいかもしれないね」、という内輪話をしたばっかりで、経済情勢に敏感な人たちが慌てて旅行しているのかもと想像したりしている。

元祖「おうち派」としては、片付けものに十分に時間の取れる盆暮れは、何よりも得がたい時期である。ことしの夏はというと、溜りに溜まったCDの整理に汗を流している。本は場所をとるのでそれなりに整頓するが、CDは本棚、戸棚、抽斗と、あらゆるところに散らばっていくので本より性質が悪い。さらにCDのケースを捨ててビニール袋に収納するという習慣なので、なおさら気楽に散らかしてしまうのだ。そこで始めたのは、すべてのCDをパソコンに取り込んで、iTunesでの総合管理を徹底するということ。

これまでもiTunesによるCD管理は試みていたが、実際にはデスクトップを占領するので使う機会はほとんどなかった。しかしパソコン画面が二つになったおかげで、iTunesを起動していても邪魔にならないことに、あらためて気付いたのである。そして今回はアルバムアートワークも一緒に取り込んで、カバーフロー表示を活用することにしたのだが、これがバーチャルでCDをめくる感じがとても気持ちいい。乱視気味なので、タイトルの小さな字を読むのが辛かったのだが、それが図柄で直感的に探せるというのが画期的なのである。


現在登録しているのが約2500曲、まだまだ入れなくてはならないのが辛いところだが、これが終わると長年の胸のつかえが取れそうである。それにしても、買って一度聴いただけでお仕舞いになっていたCDが、思いのほか多いのに驚いた。無駄も肥やしのうちと思うべきなんだろうか。

2008年8月7日木曜日

グーグルの連れてきた未来

パソコンを使い始めて20年以上になる。最初に使ったソフトは、ワードスターというアメリカ製の英文ワープロソフト。便利だなあ、という程度で、特別な感慨はなかった。ないと困るが、でも何かと置き換え可能な、高価な文房具というのがパソコンの印象だった。もちろんパソコンでゲームもやってみたが、あまり関心がなかったのですぐに飽きてしまった。パソコンは仕事で使う、そういう時代が10年くらい続いた。

ちょっと凄いぞと思い始めたのは、電子メールやインターネットを利用し始めてからである。自宅で居ながらにして大量の情報を取得できるようになって、パソコンが日常生活の必需品となり、ここでようやく新しい時代の到来を実感した。ホームページに書かれた旅行記を熱心に読むようになり、電子メールで情報交換するようになった。そして、このころからテレビを見る時間が徐々に減っていった。しかし、自分が必要な情報を探すのに、多くの手間とコストがかかり、パソコンはまだ未熟な情報機器だといえた。

21世紀に入り、本当の意味でのインターネットの恩恵を受けることができるようになった。新型検索エンジン、グーグルの登場である。忘れもしない2001年の春、グーグルを使ってニューヨークのホテルを探しオンラインで予約を済ませ、同様にブロードウェイにある劇場の座席を確保した。ガイドブックも購入せず、電話やファクシミリも使わず、インターネットだけで旅行の準備のすべてを済ませることが最初の経験である。このころから、図書館のオンライン予約も当たり前となって、こうできたらと夢想していたことが現実のものとなった。

数年前から、グーグル・マップとアースで旅先の現地情報を視覚的に知ることができるようになり、その使い勝手の良さに拍車が掛かってきた。収集した情報はすべて向こう側に置いて、それを旅先で確認できるようになり、旅行ガイドブックも完全にいらなくなってしまった。何千キロ先の町だろうと、数キロ先の隣町と感覚的に変わらない時代となり、旅行代理店の役割は終わりつつあるのではないかと思える。そして机上を占拠していたパソコンは安くなり、小さくなって、机の脇に隠れて見えなくなってしまった。

巷で評判のグーグルマップの新サービスを使ってみた。最初は自宅と実家の周囲を散歩して、次に学生時代の懐かしい土地の歩き回った。はじめての下宿を探し回り、昔懐かしい建物を発見して喜び、母屋の玄関でお世話になった大家さんに会って、ちょっと胸にこみ上げてくるものがあった。それから、社会に出てからの時間を辿り、その変化に驚き、また昔の名残に慰められ、はっと気がつくと明け方になっていた。蒸し暑い2008年の夏の夜、わたしは一歩も外に出ることなく、いままで想像すらしなかった旅行をした。そして、いずれの日にか、人は擬似的であるにしろ、タイムトラベルさえ体験できるようになるだろうし、いまはその入り口に立っているのだと感じた。

2008年8月4日月曜日

お洒落をするということ

日本人の平均寿命がまた伸びてしまったようで、長生きの家系に生まれたわたしにとっては複雑な心境である。先だっても友人と話をしていて、互いの両親の様子に話題が及び、ともに後期高齢者というレッテルを吹き飛ばしそうな健在ぶりに、自分たちの将来を想像して笑いあったばかりである。これを口にするにはまだ早すぎるのだが、願わくば最後まで誰に頼ることもなく、充実した人生を過ごしたいものだ。

これまで年配者との付き合いで気付いたのは、お洒落に気を遣っている人たちほど、総じて人生を楽しんでいる傾向がみられるということ。みんな年齢とは無関係に、話題が豊富で、ユーモアを嗜み、好奇心が旺盛である。だからお洒落に「も」関心があるというのではなく、むしろお洒落をすることで、意欲的に生きられるという関係が相応しい。衣服は人間の第二の皮膚といわれるが、それはけっして虚構なんかではなく、衣服は人の中身をあり方を決める重要な機能を果たしているのではないかと思えるほどだ。そして、お洒落するということは、若い世代よりも、むしろ目標を見失いがちになる高齢者にこそ、価値のあることだと思う。

と、何やら分かったようなことを書いたが、わたし自身もこの点に関しては平均的なオジサンであり、たまに敷居の高いショップにいくと、どうにも気恥ずかしくてギクシャクする始末。まあ平常心で買い物ができるのはアウトドア系かムジくらいかもしれない。だから、お洒落するといっても、レストランや劇場など人が楽しむ場所に行くときに、せいぜい小物で楽しんでいるという雰囲気が感じられる工夫をするだけである。もっとも男の場合、しょせん女性の引き立てに過ぎないから、その程度で充分ともいえるだろうが。

ただ、それだけではお洒落をしている内には入らないので、せめて自分自身が楽しいと思える程度のセンスや技能を身につけたいと感じている。そこで、外国のお洒落さんばかりを撮影したブログを見て、毎度彼我の差を実感している訳である。そこに写った生き生きと鮮やかな人たちの姿を見ていて、お洒落をするということは、大袈裟な言い方だけど、獲得した自由の表現であり、人生の積極的肯定のサインなんだ、と了解した。今からでは格好いいオジサンには成れないだろうが、せめて見てくれの楽しそうなオジサンになることが目標である。自分が楽しくなければ、長い年月が牢獄になってしまうかもしれないからである。

http://thesartorialist.blogspot.com/
それにしても、みなさん、鮮やかだね。

水遣りに追われる

夏の朝は、植物たちへの水遣りが一仕事である。もはや当たり前となった連日の猛暑に、大バケツに計5杯、水を毎日やらないと忽ち土が乾涸びてしまうのだ。だからこの時期は、いくら夏休みだからといっても、家を留守にすることができない。先日も、故郷の両親に顔を見せに帰ったが、一晩だけ泊まって、翌日には飛行機で戻ってきた。水遣りのためとは言えず、ちょっと忙しくてと苦しい言い訳。

暑いのが辛いのは仕方ないが、そのおかげで一部の植物たちの成長が素晴らしい。ゴーヤーやオクラは高温のため例年以上によく実をつけるし、バジルに至ってはちぎってもちぎっても、次々と若葉を出してくる。なので食卓に並ぶ料理には、どこかに必ずバジルが潜むことになる。昔は西洋料理にしか使わなかったので、余ってしようがなかったが、台湾で普通に野菜炒めに使っていて、ああそうなんだとそれまでの固定観念が吹き飛んでしまった。夏なんだからなんでもバジル風味、馴染んでしまうと夏が来るのが楽しみになるのである。

それでも、苗の本数が多いので、盛夏のころはやっぱり余る。放りっぱなしにしておくと、風の通りが悪くなり痛んでしまうので、必ず葉を摘んでやらなくてはならない。それを乾燥させて防虫や消臭に利用するという手もあるが、意外に重宝するのが塩にまぶして保存するという方法。バジルのない季節に、魚料理やパスタ料理などに使うと、夏の香りが蘇って幸せになること請け合いである。

2008年8月2日土曜日

とりあえずサンド

このところ食欲が減衰している。食べようとすれば入るのだけど、気分のほうは嫌々で精一杯の状態。だから毎晩、サラダを突っつきながら酒ばかり飲んでいる。いけないなあと思いながらも、自分が欲しいもの摂っていればそれが一番自然なのだと、モンテーニュも書いていたので、それで良しとすべきか。

昨夜は遅くまで起きていたので、今朝は珍しく空腹を感じた。しかし買い物をさぼったせいで、冷蔵庫の中は空っぽ、パンときゅうりのつけものしか残っていない。やれやれと思ったとたんに、さっきまで空腹だったのが、たちまちに食欲を失ってく気配。慌ててパンを焼いて、それだけでは喉を通りそうにないので、汁気のあるつけものを挟んで、とりあえずサンドにしてみた。それがなんとまあ、偶然に絶妙の美味さ。つけものの酸っぱさと、マヨネーズがいい具合に混じりあっている。普通の生きゅうりを挟むより確実に美味い。晩ご飯はこれに、バジルでも足してみようかな。

政府が景気の基調判断を引き下げる方針だという。いままで成長の芽を摘むまいと、いろいろと表現を工夫してきたのだろうが、さすがに嘘はつき通せませんということか。民のほうは、とっくに不況モードになっているのにね。今朝の代わり映えのしない老人内閣の面々を眺めていて、これが鏡に映るわれわれ日本人の姿かと思うと、胃の中に鉛の塊を重く感じるのである。