2008年11月30日日曜日

目玉を使え

といっても、人のではなくノートパソコンに付いているカメラのこと。本来ビデオチャット用のものらしいけど、わたしには無縁なので使わずじまいになっていた。だけどせっかく付いているのに使わないといのも悔しい。そこで調べてみると、ちゃんとありました。マック用の、自動蔵書管理ソフト

これは付属カメラをバーコードリーダーにし、本のバーコードを読み取って、Amazonから表紙の画像やデータを取得するソフトである。カメラに向かって本をかざして、ピコッ、ポチッで登録終了。以前からこういうのがあれば楽なんだけどと考えていたもの、そのまんまだ。物覚えが悪く、本のタイトルを思い出せないので、表紙の画像を記録してくれるのが有り難い。おかげで図書館で借りて読んでいるのに、忘れて買ってしまうというへまもしなくなった。カメラ付きのマックがあり、楽に蔵書管理したい方に一押し。

詳しい説明は
http://veadardiary.blog29.fc2.com/blog-entry-1803.html

2008年11月29日土曜日

好物

いつだったか、国産の粒からしより安くて美味いことに気が付き、それからずっと愛用している。以前はもっぱらラムやポークのソテーに塗っていただけだった。しかし似非ベジタリアンになってからは、野菜にも使うようになった。たとえば、大根を分厚く輪切りにして塩コショウ、フライパンでざっくりと焼け目がついたら、蓋をして火が通りやすくする。焼きあがりにこの粒からしを乗せて召し上がれ。簡単だけど、これは大好物だ。また厚揚げを二つに割って、その白い面に塩と一緒に塗って、オーブンで焼いただけのものも定番である。肉いらず、但しほかのではダメ。

2008年11月28日金曜日

ブラウン



ブラウン製品との最初の出会いは、おそらく父の電気シェーバーだったと思う。ずっしりとした重量感と、機能の塊のような武骨さを感じた。次の出会いは、学生の時、知り合いが使っていたサイコロ状のポップなライター。黄色と黒の明快なツートーンが気に入って見せてもらうと、それもブラウンの製品だった。

はじめて購入したブラウンは、臼式のコーヒーグラインダー。本体は卵の黄身のような温かな色に包まれ、他とは比較にならない抜群の切れ味を持っていた。それまで手回しのコーヒーミルに頼っていたので、数秒でコーヒーパウダーができるのに目を見張ったものだ。それからほとんど同時期に、コンパクトな目覚まし時計を購入した。清潔感あふれる白のボディと、視認性のいい文字盤、チクタク音が聞こえないメカに感動した。それらの製品の多くが、ディーター・ラムスというデザイナーの作品だったことを知ったのは、そのずっと後のことである。

ブラウンの電気シェーバーを使い始めたのは、90年代初頭のこと。銀と明るい灰色の組み合わせに目がくらみ、湧き上がる物欲にあえなく屈したのだ。それから10年近くたった頃、補修部品のストックが無くなり、修理品の代わりに新品のシェーバーが送られてきた。それがブラウンとの付き合いの最後だった。時代の変化か、買収された影響なのか、それ以降いいと思える製品が無くなって、ブラウンという会社はわたしの中から消えてしまった。

今わが家で機能しているブラウンは、2代目の目覚まし時計だけである。修理できなくなったものは、保存せずに捨ててしまった。時々後悔することもあり、そういうときはインターネットで当時の製品を眺めて、以前の製品を懐かしんでいる。今なら大阪の展覧会で現物を見られるが、道具である以上やはり実際に手にとって、使う楽しみを体感しなくてはつまらないと思う。とはいえ、こちらに巡回することがあるならぜひ行ってみたいものだ。

2008年11月25日火曜日

宝くじ

冬の到来を告げるような寒い朝、今年もまた宝くじの季節がやってきた。以前は宝くじなんて、と少し馬鹿にする気分だったが、この頃は一枚くらいはお付き合いしてもいいかという気持ちに変わった。人生は常に偶然に左右され、個人の努力だけではどうにもならないことがいくらでもある。ならば、こちらから積極的に偶然と戯れたって悪くないはずだ。しかし当選しようとむきになるのは間違っている。仮に本気になってすべてのくじ券を買占めても、総費用の半分しか戻らないのだから。したがって、宝くじの正しい楽しみ方は、年賀はがきのように偶然に近い形で入手し、現実に当選が決まってから何に使おうかとワクワクすべきなのだ。少しでも未来に期待した途端に、運命の女神はそっぽを向くだろう。

昨夜観た映画は「バベットの晩さん会」だった。革命を逃れて、デンマークにある寒村の牧師館に身を寄せた女料理人が、宝くじで当てたお金で貧しい村人に最高のフランス料理を振舞うというストーリー。美食によって魂を盗られることを恐れていた村人が、晩さん会の後で井戸の周りに輪になって、賛美歌を合唱するシーンが素敵である。最後に牧師館の娘が、バベットがお金を使い果たしてしまったことを知って驚くが、澄ました顔で「貧乏な芸術家はいません」と答える。しみじみとする、いい台詞だ。この映画が公開された当時、世間は空前の景気で美食ブームとなり、バベットの晩餐と同じメニューを楽しもうという企画が催され、たいそうな人気だったと記憶している。

2008年11月23日日曜日

江戸の時代

先週は山口薫、今週はボストン美術館の浮世絵コレクション。寒くなると、外出が億劫になるので、今のうちにせっせと美術館通いをしている。山口薫の絵を観るのは今回が初めてだが、中期の作品の色使いが非常に印象的。今回のようにまとまった形で観れることは滅多にないので、観ておく価値は十分ある。浮世絵コレクションは文句なしの一級品ぞろいで、この機会を逃すと次はいつ出会えるかわからないものばかり。しかし、あまりに人が多くて、じっくりと堪能できないのが残念だった。それに退色防止のためと思うが、照明が暗すぎて、色の鮮やかさが期待していたほどでなかったのが惜しい。そういうことはあっても、やはり素晴らしいものは素晴らしいのであり、辛抱しながらの観覧だけど十分に楽しめた。

外国の歴史家が、もし近世に生まれ変わることがあれば、平和で豊かだった日本の江戸時代に生まれたいと述べたそうである。わたしもその意見には賛成である。世界の果ての温暖な島で、同質的な人々が肩を寄せ合って穏やかに暮らす国。もちろん郷土愛というバイアスがあるが、海外の博物館で権力闘争の遺物を見るにつけ、日本に生まれるのが一番無難だと感じるのだ。そして浮世絵に描かれた風景や人の暮らしを見ていると、人間の幸せにはこれで十分ではないかと思えるのである。えてして隣の芝生は青く見えるものだが、ひょっとするとわたしたちは、人類で最高の当たりくじを引いた民族かもしれない。そんな風に妄想する。

2008年11月21日金曜日

病院

地方に住む近親者が検診に引っ掛かり、すぐに治療が必要と診断された。しかし地域の医療水準に不安があったので、こちらで評判のいい病院のセカンドオピニオンを求めた。夜9時に面談があり、疲れているはずの担当医はそのような素振りを少しも見せず、患者家族の疑問が解消されるまで粘り強く病状を説明をしてくれた。病巣は小さかったが、それでも全摘手術が必要との結論。医師の真摯な姿勢に感銘を受けた私たちは、その場で手術を受けることを決断した。

噂には聞いていたが、患者中心の医療と看護を理念に掲げる、その病院の水準には驚くことばかりだった。平均の2倍以上に上るスタッフが緊密に連絡を取り合い、患者が安心して治療に専心できるよう工夫されていた。事務や警備の人に至るまで非常に親切で、巨大な施設の只中で、茫然と立ちすくむという経験を味わうこともない。そして病室はすべて個室で、ホテル並みの設備が備えられ、しかも24時間面会が可能であり、望めば患者にずっと付添うこともできた。自分自身や家族の入院経験と比べると、その快適性はまったく雲泥の差と言ってよかった。

どうしてそのような高水準の医療サービスを提供できるのか。徹底した経営努力が実を結んでいることもあろうし、経営トップの卓越したリーダーシップも無視できない。大勢のボランティアの参加も貢献しているだろう。しかし行き着くところは現場の士気の高さであるはずだ。それをどのように維持しているのか、他の医療機関とどこが違うのか、経営の観点からも実に興味深い病院だった。

半月近い入院期間を終え、入院時とは別人のように明るくなった彼女の、「もう少し長く居たかった」という言葉を聞いて、最善を尽くして本当によかったと思う。そして彼女の場合、あらゆる面で運が味方したと感じる。「みなさん、さようなら」というカナダ映画で、病院の天井は壊れ、廊下にまで病床が所狭しと並んでいる場面が映っていた。福祉先進国と言っても、どこの国も医療の現場は理想とはほど遠いと聞く。他方、世界のお金持ちは、最高の医療を求めて、気軽に外国の有名病院に行くとも聞いた。そんなことから井上ひさしの「吉里吉里人」のストーリーなどを思い出したのである。

2008年11月19日水曜日

詩を読む

時々だが、街で待ち合わせの、少しばかり時間が余った時などに、書店で詩集の立ち読みをすることがある。そういう書架の周辺には、たいてい客がおらず、雑踏を離れてちょっと一休みするにちょうどいい空間なのだ。最初は詩なんて関心なかったのだが、適当に目に入った詩集を開いて少しずつ読んでいく内に、柄にもなくお気に入りの詩なんかができていった。

今日もそんな風な時間がぽっかりとできて、山之口貘の詩集を探しに書店に入ったが、残念なことに見つけ出せなかった。帰りがけに図書館も見たが、やっぱり置いていない。それほど人気のある詩人ではないのかもしれないが、読めないとなると無性に読みたくなる。ネットで検索すると、お目当ての詩ではなかったが、以前読んだものを何篇か読み返すことができた。

http://uraaozora.jpn.org/index4.html

どうして山之口貘を読みたくなったかというと、テレビで黒澤明の「どですかでん」を観て、その詩人を連想してしまったのだ。登場人物と共通するというわけではないが、はじめてその詩を読んだ時に込み上げてきた、やり切れないような感情と似たものを感じたからだ。人間は必ずしも功利的な存在でないからこそ多様な生き方をするし、そこから人生の深さを汲み取ることができるのだろう。

2008年11月17日月曜日

考える



休日は、ちょっと気になることがあり調べ物。自治体レベルでも、対応を急いでいる様子なので要注意。ちなみに図書館に資料の予約を入れると、何人もの順番待ちで、予想以上にみんなの関心が強いことが分かった。何しろこんな時期だから、もしもの事が起きたら世界的な大混乱になるのは必至。前回は、世界恐慌のきっかけになったともいわれている。とりあえず借りられる本を取り寄せて、どのような準備が必要かをノートに書き出す。自力で家族を守るのに必要な期間は、約2カ月のこと。半信半疑だけど、実際にニュースを聞いてからでは遅すぎるので、事前に何が出来るのかを考えなくてはならない。果たして歴史は繰り返すのか?なんて考えていると、つい雑念が入って好きな映画のワンシーンを思い出す。とかく実感が薄いと、真剣にはなれないものだ。

2008年11月15日土曜日

雑感

いつも世話になっている自動車ディーラーから郵便が届いた。封を開けると「購入資金クーポン」なるものが入っている。商売っ気のない会社にしては、ずいぶんと思い切ったディスカウント。ああ、やっぱり苦労しているんだ。長年の付き合いで、すっかり顔馴染みになった人たちが脳裏をよぎる。

ちょうど去年の今頃に自損事故を起こしたが、それが思いのほか重症だった。10年以上も乗っているクルマなので、ディーラーとしては新車を勧めてもよさそうなのに、しかしそんなことは一言も口にせず、どうすれば修理できるかを真剣に検討してくれた。幸い保険を多めに掛けていたので、可能なことは全てやってもらい、そうして新車同然の状態でクルマを受け取ることが出来た。そのとき、不思議とウマの合う店長氏と雑談していて、最近営業が厳しいという話を聞いた。「わたしの若いころは、何をさておいてもクルマだったのですがねえ。」と、残念そうな表情が忘れられない。

その後、我が家のクルマは、修理の甲斐あって快調に走り続け、次々に出てくる新車を横目に見ながら、乗れるところまで乗ってみようという気持ちが固まってきた。それはやはり、サービススタッフの熱意や、商売抜きのクルマ好きとしての付き合いがあったからこそだ。しかし一方では、苦しい時には助けてあげたいとも思うのであり、しばらくは財布と人情の板挟みである。

今回の景気後退では、競争力の弱い自動車会社がいくつか姿を消すだろう。それは多くの人々に大変な試練を与えるはずだ。もしかすると数年後には、自動車業界がもはや主要な産業ではなくなっているかもしれない。この空前の不況を潜り抜けたとき、わたしたちの社会や世界はどう変わっているのか。今までと同じように、呑気にドライブを楽しめる平穏な社会が続くといいのに、と心から思う。

2008年11月8日土曜日

靴の修理

レストランのオーナーと景気が話題になり、それはもう大変な影響を受けているという。固定客の多い店なので、さほどとは思ってもみなかった。「景気が悪くなると、みんな質より量なんですよ。何でですかねえ。」と首を傾げている。美食ブームと言ったって、しょせんその程度のものなのだろう。

確かに実入りが悪くなれば、消費するにも気合が必要だ。それは仕方のないことだけど、じり貧消費に陥るのが一番まずい。すべての消費欲を満たすために、値段と妥協して不本意な消費に走る。それをやってしまうと、ますます葛藤が大きくなって、人間が委縮する。そして不景気から抜け出せなくなる。

要は、欲望を自分の意思できちんとコントロールすることだ。不要なものはきっぱりと切り捨て、必要なものだけを大切にすればいい。取捨選択は自分の価値判断で行い、与えられたリソースを有効に活用すれば、手元不如意でも結構楽しく暮らせるものだ。

今日は天気が悪いので、昼間からウォーキングシューズの手入れをする。皮革製のアッパーは全然痛んでないのに、靴底が擦り減ってしまったので早速に修理。昔から愛用している補修剤を使い、擦り減った部分にペーストを盛り上げて乾燥させれば、ごく普通に問題なく履き続けることが出来る。そして、その浮いた分で、妥協なく気に入った靴を買うつもりである。

2008年11月7日金曜日

昨夜の集い

人前に出るのが苦手なため、華やかな場所へのお誘いは、あれこれと理由をつけ逃げることが多かった。せっかく親切で言ってくれてるのに、申し訳ないことをしたと気に病むこともしばしばである。しかし、いつまでも逃げていては情けないので、最近はその手のお誘いがあれば極力受け入れることにしている。

昨夜は、ひさしぶりに妻を伴って銀座での華やかな集いに出席した。去年も行ったので、様子が分かっていて幾分気は楽だ。しかし油断は禁物。会の雰囲気を壊さないように、普段は滅多にしない格好をし、簡単な予習もしておく。何しろ場馴れしていないので、ウォーミングアップなしでは不安なのだ。

会場で主催者に挨拶をしてから、おもむろに周囲を観察すると、ワイングラスを片手に皆さんすっかり寛いでいる様子。見ている分にはいいのだけど、その中に入っていくのがホネなんだ。そして洒落た音楽を聴き、一杯の拍手を送り、さし障りのない雑談をし、ワインを飲んで、夜は更けた。再び主催者に挨拶をして会場を辞すると、周辺のブランドショップ街にはまだ照明が灯っていて、お洒落をして夜遊びをする人たちが行き交っていた。柔らかな夜風を受けてほっと肩の力が抜けると、なんだか一人で酒が飲みたくなった。

今月は、まだいくつかそういう予定が入っている。関わらなけば楽チンなんだけど、やはり積極的に参加しなくてはと思う。人には仕事も大切だが、遊びや楽しみも同じように重要だ。みんなが寄り集まって何か楽しいことをしようとするとき、その中に入って一緒に楽しむということが、ゆとりのある社会に必要なんだと思う。特に世相が暗くなっていきそうな、こんな時だからこそ。

2008年11月2日日曜日

マメ


素晴らしく天気のいい日が続く。こんな日に家に籠っていてはもったいない。朝食の後、いきなり思い立ち、淹れたてのコーヒーをポットに詰めてバイクに跨る。向かった先は築地の市場。備蓄している豆が残り少なくなったので、今シーズンの豆を入手しておく必要があったのだ。

スーパーで袋詰めのを買っても構わないのだけど、やっぱり豆は一升枡の量り売りが気分がいい。味噌だって、味噌桶からしゃもじでとってもらう方が断然いい。豆腐なんかも、豆腐屋の主人の手が直接掬ったものの方が、不思議と美味く感じる。それに比べてビニール袋に包装された食品は、見た目が侘しくて、どうも好きになれないのだ。

本日の収穫は、インゲンマメ一升と大豆が一升。手で持つと、ずっしりとした重みで、何とも豊かな気になれる。この豆の一粒一粒が、生命の結晶なのだ。実際に自分で栽培したものだったら、これはもう格別な重みだろうな。さて、明日の休日、何を作ろうか。

2008年11月1日土曜日

疑問

10月はお金のことを考えた。100年に一度あるかないかの金融恐慌を目の当たりにして、いったいどこの世界の出来事だろうかと、不思議でしようがなかった。お金はどこから生まれて、どこに消えていくのだろう。それは小学生の時からの疑問だった。あの当時は、金銀財宝を山から掘り出して、それを何かと交換するとお金が生まれると考えた。財宝を持ち歩くと大変だから、持ち歩きできる紙幣にしたわけ。すこし知恵がついたころには、力の弱い労働者の上前を掠め取った果実がお金だと理解した。なんだか脚色の強いお話である。大人になると、お金って要するに「お約束」じゃねえの、と知ったかぶりをするようになった。人類が消費を円滑に行うための工夫というわけ。お約束であるから、お金は信頼し合える社会でないと通用しない。銀行同士が不信感に陥ると、そこでお金は流れなくなる。お金を流すことで糊口をしのぐ銀行で、お金が流れなくなるとゲームセット。国民同士で信頼しあえなくなると、お金の価値はどんどん薄まり、最後には物々交換。10数年前のロシアが記憶に新しい。

お金は「お約束」だと言った。でもそれは自分が生きる上で必要となる程度ならば説明できるが、それ以上だとわからなくなる。膨大なお金を有している人は、いったい何を約束してほしいのだろうか。誰に約束してほしいのだろうか。例えばクルマを運転して、目の前に巨大なトラックが走っていると不安でしょうがない。せめて後続ドライバーから見える場所に、行き先や急ぎ具合や、ドライバーの顔や性格など掲げてくれたら、ずっと安心感が得られるだろう。お金の世界でも同じ。多数の安心感を奪うような、大きなサイズのお金の持ち主は、そのお金についてみんなに説明する必要があるし、さもなくばどこか別の原理の世界で暮らしてもらうべきだ。もしくは、われわれの方から、お金のノーマルな用途に特化した場所に引っ越してしまうことだってありだ。すなわち「地域通貨」の採用などが議論されてもいい。

ほんの少しだけ見えてきた事。そもそも欧米の金融機関が、普通の人間なら決してしないような、リスクの大きい人や国に巨額のお金を融通したのは、そうでもしないとお金が滞ってしまいそうになっているからだ。日本では、高齢化が進んで新しいお金が不要になってしまい、各家庭や銀行にそのままになっている。だから、お百姓の大銀行は運用に困って、とんでもないリスク資産を抱え込んでしまったのだ。あたかも海や湖が富栄養化によって生き物が窒息しそうになっているのと同じような現象が、経済社会に起きていると思っていい。だとすれば、今起きている危機は、それが収まっても、何度も繰り返されると考えて間違いなさそうだ。


で、どうすればいい?