先日、旧フランス大使館のイベントに行った折に、その近くにある懐かしいカレー屋を尋ねたのだが、どういう訳か探し当てることが出来なかった。「暮しの手帖」で店の記事を読んだのがきっかけでファンになり、テイクアウトでのみ提供されるその店のカレーを、たびたびお昼ご飯に持ち帰ったものだ。間口の小さい弁当屋のような店だったが、道ばたの日曜大工風のキリンの看板が愛らしい目印になっていた。今のようにテレビのグルメ番組が盛んだったわけでなかったので、たぶん口コミの影響だろうか、昼時にはいつも客の列が出来ていて、時間を逃すとお目当てのカレーにありつけないこともあった。
当時は、カレーと言えば日本風の一般的なものばかりで、きりん屋の豊かな香辛料を楽しむカレーはかなりインパクトがあった。今でこそカレーは地域や民族によって多様性があり、それぞれに趣が違うというのは常識になっていると思う。そのころはカレーの専門店といったって、私の知る範囲では渋谷の「ボルツ」くらいしか思いつかない程度で、多彩な本格カレーが日常身近になるのは、南アジアや東南アジアの人たちがごく普通に日本で暮らすようになってからだ。それはちょうど、日本が経済的繁栄の頂点を迎え、外から人や物が一気に流入し始めた昭和の終わり頃からだったように記憶している。
いまではインド風のカレーを口にすることも少なくなり、家でカレーを調理することもなくなった。ときおり食べるカレーもタイ料理店のものだったり、無印のグリーンカレーを調理するくらいであり、自分でもずいぶんと好みが変わってしまったと感じる。それで、ちょっと懐かしいインド風カレーを楽しんでみたくなり、麻布に行くついでにきりん屋を尋ねたのである。手ぶらで帰宅したあと、もしや廃業したのだろうかと気になって調べてみると、ちゃんと現在も同じ場所で営業していて、しかもホームページがあることも分かった。きっと街の様子が違っていたので、盛んに周囲をきょろきょろしていて見落としたのだろう。ホームページを見ると店の様子も昔のまま、値段は少し高くなったが、あの懐かしいカレーが画面に出ていて、それを眺めているうちに香辛料の強い香りを思い出し、気がつくと頭に汗をかいてしまっていた。
2010年2月9日火曜日
2010年2月6日土曜日
散歩と社会考察

社会の動きを知るために、いつも大都会の息吹に当たるべきとの意見があるが、都心部はある種独特の動きをするので、社会の底流にある静かな動きを知るには向いていない。巨大なビル群が林立するオフィス街や都心の繁華街を歩いたところで、分かることは大ざっぱな景況感と流行のファッションくらいだろう。スーツを着た建前の街より、柔らかな脇腹を見せるちょっと田舎の方が、散歩するには遙かに楽しい場所であるのは、その辺りの違いではないかと思う。
わたしの散歩コースは、行き先ごとに概ね決まっている。最短距離を歩くためでなく、歩いて楽しい道を探っているうちに、次第に順路が固まって出来たものだ。決まり切ったコースを歩いていても決して飽きることはなく、注意深く観察すれば街や路上の様々な変化に気づかされる。自然や景観の変化は当然だが、町並みの変貌から社会そのものの変化だって伝わってくる。たとえば金融危機のあと、ほどなくして銀行の社員寮が取り壊され、マンションやら老人ホームに建て変わったのを多数目撃した。建具屋とか畳屋とかいう伝統的な生活スタイルに密接した商売が、跡継ぎもなく高齢化して廃業してしまったのも嫌というほど見てきた。それからITバブルのころ、いかにもバブル銭で購入しましたという匂いのする、薄っぺらで寂しい豪邸がぽんぽん建って、その後知らぬ間にもぬけの殻になったりもしていた。
この数年で顕著になってきたのは、パン屋やカフェ、文房具店などといった小商いの店が増えたこと。長い間、空き店舗だったところや、ガレージ代わりにしか使われていたかった空間に、小さな店がひっそりと誕生している。少ない資金で開業しようと思えば、誰も手を出さないような立地の、古い家屋をそのまま借りて始めるのが安全だからだろう。店主はそのほとんどが若い人たちで、開店当初どこか頼りなさそうな表情で通りを眺め続けているのを見ると、思わず応援したくなるのだ。しばらくして客が増えてくるのを見届けては、自分のことのようにほっとしている。人通りの少ない寂しい街に、ポツンポツンと新しい店舗の光が増え、夜道の散歩がいっそう楽しくなってきた。
社会の意識変化が感じられる商売も増えている。このところ急に靴や鞄を修理する店が増えた。もちろん以前から同じ商売はあったが、そういう店よりずっと個性的で、いつまでも大切にしたい靴や鞄でも安心して任せられる雰囲気がある。皮革製品は長く大切に使ってこそ醍醐味があるという価値観に、社会が気づき始めたのだろう。単なるリサイクルショップではなく、セレクトショップ風の古道具屋も見かけるようになった。古くても、いやむしろ古い時代の価値を、積極的に評価しようとする社会意識の変化だ。そのことは、外観はボロアパートなのに、その中で非常にセンス良く暮らす人たちが増えてきたことからも想像できる。価値観が広がりをもって多様化しているのだ。
高齢化社会は、「時間」という長い物差しで価値判断をすることを可能にした。高度な情報化社会は、無数の意識の共有を急激に進める。モノゴトの評価軸は、恐ろしく多面的で複雑化し、その評価の仕方そのもので社会集団が細分化されることだろう。「一億総中流」とは、社会がきわめて大雑把な構造だったころの、大量消費社会に適合した社会意識だったに違いない。みんなが豊かだったから「総中流」なのではなく、流れが一方向の、単純でつまらない社会だったからそのように表現できたのだ。やや逆説的だが、総中流社会が崩れ去り、多様な価値観があらゆる方向に渦巻く複雑な社会になると、お金のあるなしにかかわらず、ずっと実質的な豊かさを感じさせる社会になるような予感がする。
2010年2月5日金曜日
過保護
2010年2月1日月曜日
大使館


2010年1月25日月曜日
開花

今年もまたクリスマスローズの花が咲いた。去年は何時だっけと調べたら、ちょうど1年前の今頃開花していた。他所のクリスマスローズはみんな背筋が伸びているので、茎を伸ばそうと色々工夫してみたのだが、結果はやっぱりうつむき加減。週末にホームセンターに行き、春先に必要な肥料だの種だの買い込んだが、そのときに八重咲きのクリスマスローズの鉢植えを見つけた。花に対して華があるなんて変だが、ウチの地味でシャイなのと比べると、派手で人目を引くのが気になって仕方なかった。見た目は良いけど、きっと虫が付いたり病気したりして苦労するんだろうな。

2010年1月21日木曜日
夢を見る
私は人通りない裏道に建つ、以前より馴染みの古本屋にいた。前回訪れた時には、まだ営業している様子だったが、今回は棚に並ぶ本もなくなり、床から積み上がった雑誌の山が、いくつも店の壁にもたれかかっていた。埃を払って堆積した雑誌の中から慎重に一冊を抜き出してみると、それはすでに湿気を含んで変色し、もはや売り物ですらないことが分かった。わびしい気分でごわごわとしたページをめくっていると、薄暗い店の奥から主人がこちらに近づいてきた。ちょうど小脇に自分の本を挟んでいたので、慌てて店主に言い訳をすると、「いや、もう営業していないから」と口の中でもごもごと言った。ほっと安心して、あらためて店内を見渡すと、私と同じような風体の男があと数人、残り物の雑誌を探し出して読んでいるのが見えた。
明け方に、そういう場面で目が覚めた。昨夜、雑誌が次々と廃刊する記事を読んで、今も時折購入している雑誌がなくなったら困るだろうな、などと考えながら寝たせいなのかもしれない。また、飲み屋でよく見かけた出版社勤めの人がこの頃姿を見せなくなり、仲間と「彼も大変なんだろうね」とうわさ話をしたのが引っかかっていたこともあるのだろう。いずれにせよ、さほど雑誌に関心のない私でも、こうも雑誌の廃刊や休刊が続くと、ほんとうに出版業界の将来が心配になってくる。雑誌の多くは暇つぶしの種のようなもので必要不可欠とは言えないが、それでも書架を賑やかに彩り、書店に独特の活気を与えていたのは確かであり、時期になると刷り立ての雑誌の束が積み上げられ、それを店員が忙しく荷ほどきをする光景は、端で見ていて気分の良いものだった。
携帯電話やノートPCなどなかったころ、長距離列車に乗る際には、誰も彼もがお茶と弁当、それから必ず週刊誌を買っていた。一通り読み終えると、今度は同行者と交換して読んだ。そして用が済むと、無造作にその場に置き去りにした。そういう習慣の人が多かったせいか、列車の網棚には放置された雑誌が何冊もあり、長時間の退屈しのぎに苦労しなかった覚えがある。列車に限らず、喫茶店とか待合所とか、人の集まるところはどこもそういうふうだった。そういえば、自分も含めて喫煙者が今よりずっと多かったから、妙にニコチン臭い雑誌が多かった。今にして思うと、不思議と時間にゆとりがあり、なにやら贅沢な時代だった。
明け方に、そういう場面で目が覚めた。昨夜、雑誌が次々と廃刊する記事を読んで、今も時折購入している雑誌がなくなったら困るだろうな、などと考えながら寝たせいなのかもしれない。また、飲み屋でよく見かけた出版社勤めの人がこの頃姿を見せなくなり、仲間と「彼も大変なんだろうね」とうわさ話をしたのが引っかかっていたこともあるのだろう。いずれにせよ、さほど雑誌に関心のない私でも、こうも雑誌の廃刊や休刊が続くと、ほんとうに出版業界の将来が心配になってくる。雑誌の多くは暇つぶしの種のようなもので必要不可欠とは言えないが、それでも書架を賑やかに彩り、書店に独特の活気を与えていたのは確かであり、時期になると刷り立ての雑誌の束が積み上げられ、それを店員が忙しく荷ほどきをする光景は、端で見ていて気分の良いものだった。
携帯電話やノートPCなどなかったころ、長距離列車に乗る際には、誰も彼もがお茶と弁当、それから必ず週刊誌を買っていた。一通り読み終えると、今度は同行者と交換して読んだ。そして用が済むと、無造作にその場に置き去りにした。そういう習慣の人が多かったせいか、列車の網棚には放置された雑誌が何冊もあり、長時間の退屈しのぎに苦労しなかった覚えがある。列車に限らず、喫茶店とか待合所とか、人の集まるところはどこもそういうふうだった。そういえば、自分も含めて喫煙者が今よりずっと多かったから、妙にニコチン臭い雑誌が多かった。今にして思うと、不思議と時間にゆとりがあり、なにやら贅沢な時代だった。
2010年1月10日日曜日
ベストバイ、ワーストバイ
私生活を知る人から、物欲がないとか、買い物嫌いだとか誤解されることが多い。しかし私の場合は、買い物をするとき、あらかじめ欲しい商品のイメージが比較的明瞭なのだ。デザイン、素材、サイズなどについての要求がはっきりしているため(好き嫌いが激しいという言い方も出来る)、いくら目の前に新商品を積まれても、その基準を満たさなければまったく関心が向かない。もし要求のものが市場に無ければ、それが出るまで何年でも待つか、もしくは自分で作ることを考える。だから、運良く欲しいものが見つかった場合は、大喜びで買い物をする。とっても嬉しいので、すり減ってなくなるまで使い続けたい。現実には、すり減ってなくなるものなどあまりないので、結局修理を重ねながら使い続けることになる。そういうのは、世間では物欲とは言わないのだろうか。
年末に書こうと思ったのだが、去年のベストバイ、ワーストバイを記しておきたい。まずは反省を込めてワーストから。WMFのコーヒーメーカーである。迂闊にもサイズを間違えたため、少人数では使い勝手が悪く、そのためほとんど利用しないでいる。プレス式の場合、容器のサイズはせいぜい3杯分くらいが適当だということが、使ってみて初めて分かった。更に悪いことに、早い段階でガラスにひびが入ってしまった。若干、ガラスが薄いと感じていたが、こんなにも早く駄目にしたのは予想外だった。同じ種類の商品では、かなり高価な買い物だっただけに、返す返すも残念である。何か良い使い道はないだろうか。
私にとってベストバイとは、なによりも生活に激震と言えるくらいの変化(ちょっと大袈裟すぎるけど)をもたらすモノであることが重要だ。単に新品であるとか、目先が少々綺麗になったというのではまったくもの足りない。使うたびに、あぁ、もしこれがなくなったら、明日からどうやって暮らしていけばいいのだろうというくらいの感動が欲しい。で、去年のベストバイだが、底浅のゴムバケツを真っ先に挙げたい。長年のラバーメイドの洗い桶が割れてしまい、テープを貼り付け騙し騙し使い続けていただけに、やっと代わりのものが見つかり本当に助かった。単に助かっただけではない。円形という形が洗い物には最適であるということ。しかも室内で足湯を楽しむにもちょうど良いサイズ。加えて大きな取っ手のおかげで、排水を掃除や植物の水やりに再利用することも簡単になった。もう以前のタイプの洗い桶を使うことを考えられないくらい利便性が優れていて、しかも安価ということで、ベストバイにしたい。
そして、もう一つのベストバイは、エミールアンリの耐熱皿。電気オーブンに2枚同時に入れられるというだけのことだが、今まで不便を耐えてきただけにそのインパクトは計り知れない。沸々と音を立てる焼きたてのグラタンを前に、一緒にイタダキマスと言う幸せは、何ものにも代え難い。それから、この耐熱皿の形状が、意外に何にでも使えるということが分かった。チャーハンのような御飯ものでも食べやすいし、サラダを盛ったり、もちろんパスタ料理にもちょうどいい。丈夫な耐熱の多用途皿として、ちょっとこれ以外のものは考えつかないのである。我が家の食生活に大きなインパクトを与えたモノとして、昨年のベストバイに。
モノの価値は、ある期間使い続けないと見えてこないものである。またデザインにしたって、ぱっと見が良くても、あとになって陳腐な印象に変わるものだって多い。だから、新しいものを短時間で評価するのは難しいと思う。グッドデザイン賞の審査は、一作品につき数分で行われるそうである。大量の応募作品から選り分けなくてはならないのだから、時間的な制約は仕方のないところだが、それにしても乱暴な話だ。昨年末に買ったのでまだ十分ではないが、モノとしてのスジはいいと思えるので、ベストバイ新人賞とでも名付けたいのが、写真の茶漉しである。一人分の茶を入れるに、わざわざポットを準備する手間が煩わしいので、どうしても茶漉しで済ませたくなるが、その旧来型のものが今ひとつ気に入らなかった。それでたまたま使えそうなものに出会えたので購入した次第。しっかりとした丈夫な素材に、直線的なデザインが似合っている。これに付属する乳白色の陶器の皿も実用的。長く使えそうだし、これから愛着の湧きそうな小物として挙げた。
ついでに調子に乗って、ロングラン賞を一つ。ちょうど前回の寅年に、貰ったお茶に付いてきたブリキの茶筒である。中身のお茶はさすがに申し分なかったが、それ以上に容器に感激したという希有な例である。あれから干支が一回りして、使い続けた茶筒にもずいぶんと貫禄が付いた。さすがに蓋の締まりが堅くなったり、表面が汚くなったりしてきたので、クレ556で軽く磨いたらまた元通りの滑らかな動きが戻ってきた。本当に質素で実用的なモノなのに、使えば使うほど美しくなり、まったく廃れず、愛着ばかりが増していく。いやまったく、日本の職人技は桁外れである。





2010年1月3日日曜日
今日の散歩、収穫
ほんのりと暖かな日が続く三が日、今日も昼から散歩に繰り出した。都心に行こうかとも考えたが、どこが良いかさっぱり思いつかないし、それに電車に乗らなくてはと思うと急に億劫になった。どこに行こうが、結局は裏道ばかりを好む。ならば、歩き慣れた道の、ひとつ向こうを歩いても同じだ。じゃあ本日はいつもの方面へ、しかし今まで歩いたことのない道を通ることに決めた。
ただそれだけではつまらないので、自分なりにオシャレをして歩くことにした。そんなに大げさなものでなく、新しいチャッカーブーツを履き、ジャケットに短めのマフラーだけという軽装。歩くだけならウォーキングシューズが楽ちんなんだが、まだ新品の靴を履き馴らすためにしっかり歩いておく必要があったからだ。この靴、旅先で偶然目に止まり、半ば衝動的に買い求めたものだが、デザインの美しさの分だけ私の足には少しスリムで、だから犬を飼い慣らすがごとく、最初にしっかり躾けなくてはならないのである。手始めに大股でずんずん歩くと、靴の強い弾力が体を前に前にと押し出す。おっと負けてはいられない。手を大きく振ってバランスを取り、リズムを刻むようにすると、あっという間に汗ばんでくる。ほどなく、タオルを持ってこなかったことを後悔した。
正月の三日ともなると、シモキタの街はかなりの人出。店も大半が営業していて、今日は若い外国人観光客が特に目立つ。どういった店が人気なのか知らないが、故郷への土産なのだろう、大きな買い物袋を両手に楽しげに歩いている。同じ顔つきの人たちなのに、使う言葉が違うと、目に見えない薄い膜で隔てられているようにもどかしい。その距離感を確認したくて、思わず話し掛けそうになるが、変なオヤジに見られるのが嫌でいつも思いとどまっている。
シモキタではいつもの書店に直行し、小一時間ほど遊んだあと、再び歩いて帰る元気をなくしたので電車で帰宅した。
本日の収穫
・「ああ。二五年」開高健 随筆集。短いのがたくさん入っているので、トイレに置いてチビチビ楽しむ予定。
・「独楽園」薄田泣菫 タイトルは似ているが、例のお下劣小説にあらず。精神の高みからあふれ出た一滴を、お気に入りのお茶とともに静かに味わいたい、そう思わずにはいられない随筆集である。カバーデザインも秀逸。
・「ボン書店の幻」内堀弘 買おうか買うまいか迷ったあげく、もうちょっと寝かせておくことにする。積ん読本が溜まりだしているのだ。
ただそれだけではつまらないので、自分なりにオシャレをして歩くことにした。そんなに大げさなものでなく、新しいチャッカーブーツを履き、ジャケットに短めのマフラーだけという軽装。歩くだけならウォーキングシューズが楽ちんなんだが、まだ新品の靴を履き馴らすためにしっかり歩いておく必要があったからだ。この靴、旅先で偶然目に止まり、半ば衝動的に買い求めたものだが、デザインの美しさの分だけ私の足には少しスリムで、だから犬を飼い慣らすがごとく、最初にしっかり躾けなくてはならないのである。手始めに大股でずんずん歩くと、靴の強い弾力が体を前に前にと押し出す。おっと負けてはいられない。手を大きく振ってバランスを取り、リズムを刻むようにすると、あっという間に汗ばんでくる。ほどなく、タオルを持ってこなかったことを後悔した。
正月の三日ともなると、シモキタの街はかなりの人出。店も大半が営業していて、今日は若い外国人観光客が特に目立つ。どういった店が人気なのか知らないが、故郷への土産なのだろう、大きな買い物袋を両手に楽しげに歩いている。同じ顔つきの人たちなのに、使う言葉が違うと、目に見えない薄い膜で隔てられているようにもどかしい。その距離感を確認したくて、思わず話し掛けそうになるが、変なオヤジに見られるのが嫌でいつも思いとどまっている。
シモキタではいつもの書店に直行し、小一時間ほど遊んだあと、再び歩いて帰る元気をなくしたので電車で帰宅した。
本日の収穫
・「ああ。二五年」開高健 随筆集。短いのがたくさん入っているので、トイレに置いてチビチビ楽しむ予定。
・「独楽園」薄田泣菫 タイトルは似ているが、例のお下劣小説にあらず。精神の高みからあふれ出た一滴を、お気に入りのお茶とともに静かに味わいたい、そう思わずにはいられない随筆集である。カバーデザインも秀逸。
・「ボン書店の幻」内堀弘 買おうか買うまいか迷ったあげく、もうちょっと寝かせておくことにする。積ん読本が溜まりだしているのだ。
2010年1月1日金曜日
元旦の一日

大晦日の夜は、早めに食事を済ませ、そのまま本を抱えて寝床に入り、除夜の鐘の音を聴くこともなく寝入ってしまった。ふと目が覚めると明け方で、あと数十分もすれば美しい初日の出が拝めそうな気配だった。しかし、ここで起きてしまうと中途半端になるので、もう一度布団をかぶり直し、あてのない眠りに入った。そして次に目覚めると、もう10時半だ。トーストを焼き、作り置きしているゆで卵を頬張りながら、配達されていた年賀状を読む。
天気が良ければ、歩くことに決めていた。このところ運動不足気味だったので、軽いウォーミングアップのつもりだ。十分に暖かくなった昼下がりに、初詣を兼ねて寺社仏閣を通り抜け、そのまま渋谷方面に向かうことにした。遊歩道を歩きながら携帯で家族に年始の挨拶をし、例年のごとく帰省できない言い訳をして、ちょっと考え事をしていたら、いつの間にか予定したコースから外れてしまっていた。街路表示を見ると、30年前に台湾で客死した作家が、一時期家族と暮らしていた場所。幹線道路から一本奥に入ると、周囲を高層ビルに屏風のように取り囲まれて、昭和初期の古い木造家屋があちらこちらに残っている。決して立派とは言えない、当時の月給取りがつましく暮らしていた風情のある、こじんまりと質素な家々。この中のどれかが、もしかしたらそうかも知れない。人通りの無いのをいいことに、軒先をそれとなく見て回った。
小腹が空いたので、営業中のハンバーガーショップに立ち寄った。そこで一番軽めのハンバーガーと、冷たい水をもらう。元旦の昼下がりに、何を好きこのんでハンバーガーなんかと思いきや、意外にも店内は独り者や夫婦連れの老人たちで混んでいた。簡単な食事を済ませた後、再び路地の中をさまよい、三軒茶屋の古い映画館の前にでた。ここでは以前から観たかった映画が上映されていたが、タイミング悪くすでに半分以上過ぎていて、次を待つと夜になってしまう。夜になって都合が悪いわけでもないが、それまでどうやって時間を潰せばいいのだろうか。結局、渋谷に行くのは止めて、成り行き任せに三軒茶屋周辺を徘徊することにした。ここは上京して初めて暮らした街。現在の若者たちの喧噪渦巻く場所と違い、当時は静かで暢気な場所だった。狭い通りには学生相手の飲食店や麻雀店が並んでいて、学生気分の抜けきらない私にはちょうど暮らしやすかった。その頃、モーニングセットを食べるために頻繁に通った喫茶店があり、その後、長らくディスカウントストアが入っていてが、最近廃業したと噂に聞いていた。好奇心もあって尋ねてみると、開店して間のない雰囲気の賑やかな本屋が入っていた。かつてこの場所に、自分が決まって座っていたシートがあり、壁にはフィヨルドの大きなポスターが掛かっていて、それを眺めながら朝食を取るのが好きだった。その同じ空間で、書棚を眺め、本を手に取る自分をダブらせて想像すると、実に奇妙な感じだ。何冊か本を買い求め、外に出るとすでに空気が冷たい。映画は諦めて、家に帰ることにした。
夜になり、餃子をあてにビールを飲みながら、すっかり恒例になったウィーンフィルのコンサートを楽しみ、こうやって年初のブログを書いて過ごしている。年末年始に、ひとりで過ごす中年男性の割合は、同世代の一割という。その何万分の一の、これが、ある名無しの中年男の元旦の一日である。
2009年12月27日日曜日
男のエプロン

先日の旅行の際に、買い物リストの先頭にあったのが、「エプロン」だった。料理に大工仕事に、ポケットのついた、丈夫で大きなエプロンが必要だったのだが、気に入ったものがなく、ずっと探していたものだ。ところが目的地の名産品のひとつに丈夫な麻布があり、そこに行けばきっと売っているはずという話を偶然聞きつけた。そして現地に行って、何軒かの店を回り、念願かなって見つけたのが写真のエプロンなのである。
素材は綿麻の混紡で、ざっくりと分厚く織られ、手触りはまるで柔道着のよう。ドライバーやペンチも楽に入る、深くて大きなポッケがあり、腰の辺りには布をぶら下げるリングもついている。裾は膝下まであるので、その裾の端を使ってオーブン皿を取り出すことも出来る。一言で言えば、男のためのヘビーデューティ・エプロンである。ただそれだけではあまりに無骨だと思ったのか、胸には赤い唐辛子の刺繍が施されている。それはまあ、ご愛敬。店の主人に、どなたが使うのですかと訊かれ、もちろん僕ですがと言うと、嬉しそうな顔をして「これはあなたにぴったりの品ですよ」と応えた。
後日、知り合いの外国人に、こういうのを買ってきたよと見せると、「うわっ、すてきっ!これは、うーーーん、イッショモノですね。」と意表を突く攻撃を受け、思わず仰け反ってしまった。そりゃもちろん、体が動かなくなるまでずっと使うつもりなんだけどさ。
2009年12月24日木曜日
クリスマス・イヴ

12月に旅行をする機会が多く、これまで様々な国のクリスマスシーズンを体験してきた。キリスト教を基盤にする国では、この時期、凍てつくような気候とは裏腹に、石造りの街全体が暖かな光で覆われる。もちろん商業的な華やかさが目につくものの、それだけでなく、民家の厚い木の扉や軒先などに、ちょっとした飾り物が取り付けられ、それがいかにも素朴な信仰心の象徴のようであり、ほっと心が和まされるのである。
また、それぞれの地域によって、土地柄を反映した個性的な飾り付けがあり、そのありようが社会の雰囲気をあらわして、異邦人にとってはとても興味深いのだ。どの家の窓辺にも、オフィスの窓にまで、三角をかたどる小さな明かりを灯している国があった。別段法律で決められている訳ではないだろうが、社会の整然とした連帯感の強さを感じさせられた。また、玄関先にロウソクを灯す習わしのある国があった。ほかに特別な飾り付けはないが、雪の中でゆらめく小さな炎がたとえようもなく美しく映え、人々の洗練された美意識をよく表していると感じた。
わたしは信仰する宗教を持っていないので、これまでもクリスマス行事とは無縁であり、イヴだからといって特別なことをしたいとは思わない。ただ、宗教を介して連帯感を持ったり、他人を思い遣る気分になる季節が毎年やって来るというのは、その社会にとって悪いことではないと思う。ディケンズの「クリスマス・キャロル」ではないが、自分たちのことで精一杯の暮らしの中で、一日くらいは見知らぬ人たちの幸福を願う夜があったっていいではないか。
夕刻の渋滞に巻き込まれ、クルマの中からオフィス街の明かりをぼんやりと眺めていたら、ラジオからオペラ歌手の歌う「アメイジング・グレイス」が聞こえてきた。薄く降り積もった雪が、すべての景色を浄化するように、透明で清らかな歌声が胸の奥に染みこんでいった。夕暮れの束の間の時間に、私にも訪れた、クリスマス・イヴであった。
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今年になって万年筆を使うようになった、と書きました。 あれからというもの、ボールペンは必要に迫られたときのみ、従来パソコンに打ち込んでいたテキストも、ごく私的なものは万年筆で手書きしています。 以前は万年筆を使うと決まって肩が凝ったものでしたが、現在はまったく苦痛ではな...
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40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうや...