2010年2月1日月曜日

大使館

旧フランス大使館で開催中の展覧会に行ってきた。先に見学してきた友人から、是非観に行くといい、騙されたと思って行くといいと、熱心に誘われたのだ。そこまで言うのならと実際に行ってみると、本当に言われていたとおりの面白さ。通常の美術館と異なり、小部屋の一つ一つを覗き込むようにしてみて回る。取り壊し予定の旧館2棟を使った自由自在な展示が、何か学園祭に訪れたような懐かしい気分にさせる。廊下に階段、果てはトイレまで、建物の内外が丸ごとアートスペースになってしまい、まるでおもちゃ箱に潜り込むような楽しさである。そして各スペースに待機する作家さんたちから、直に話を聞くことが出来たのも刺激的だった。

ここでのもう一つの関心は、大使館の建物そのものにあった。普段訪れる機会のない外国の大使館が、どういった構造になっていて、どのように建てられているのか等々、好奇心旺盛な者としては格好の探検場所である。巨大な金庫のある部屋とか、鉄格子のはまった小部屋とか、一体いかなる用途があったのだろうか。以前から、金庫の中にはフランスの美味しいものが一杯ストックしてあるとの噂があったが、実物を見るとやはりデマだったように思える。そんなことより、ドアノブとかコンセント、ちょっとした引手のデザインに治外法権の匂いがあり、その辺りに大使館の名残を感じたのだった。どうせ壊して棄てるくらいなら、ドアやら窓やら、貰って帰りたいものも沢山あった。

2010年1月25日月曜日

開花


今年もまたクリスマスローズの花が咲いた。去年は何時だっけと調べたら、ちょうど1年前の今頃開花していた。他所のクリスマスローズはみんな背筋が伸びているので、茎を伸ばそうと色々工夫してみたのだが、結果はやっぱりうつむき加減。週末にホームセンターに行き、春先に必要な肥料だの種だの買い込んだが、そのときに八重咲きのクリスマスローズの鉢植えを見つけた。花に対して華があるなんて変だが、ウチの地味でシャイなのと比べると、派手で人目を引くのが気になって仕方なかった。見た目は良いけど、きっと虫が付いたり病気したりして苦労するんだろうな。

今春から野菜の水耕栽培にチャレンジしている。色々と調べたところ、土に植えない方が虫が付きにくいし、収穫量も変わらない様子。もちろんそれなりに技術は必要である。しかし外で育てると食欲旺盛な鳥たちの格好の餌になってしまうので、自分たちで食べる分は室内に取り込んで育てることにした。うまくいくかどうか分からないが、とにかく水を含ませたスポンジに種をまいて、しばらく様子を見ることにした。種まきから発芽まで半月は覚悟していたが、意外にも4日目には発芽が始まった。乾燥防止のために被せていたトイレットペーパーを破って、一斉に茎を伸ばしている。楽しみがひとつ増えた。

2010年1月21日木曜日

夢を見る

私は人通りない裏道に建つ、以前より馴染みの古本屋にいた。前回訪れた時には、まだ営業している様子だったが、今回は棚に並ぶ本もなくなり、床から積み上がった雑誌の山が、いくつも店の壁にもたれかかっていた。埃を払って堆積した雑誌の中から慎重に一冊を抜き出してみると、それはすでに湿気を含んで変色し、もはや売り物ですらないことが分かった。わびしい気分でごわごわとしたページをめくっていると、薄暗い店の奥から主人がこちらに近づいてきた。ちょうど小脇に自分の本を挟んでいたので、慌てて店主に言い訳をすると、「いや、もう営業していないから」と口の中でもごもごと言った。ほっと安心して、あらためて店内を見渡すと、私と同じような風体の男があと数人、残り物の雑誌を探し出して読んでいるのが見えた。

明け方に、そういう場面で目が覚めた。昨夜、雑誌が次々と廃刊する記事を読んで、今も時折購入している雑誌がなくなったら困るだろうな、などと考えながら寝たせいなのかもしれない。また、飲み屋でよく見かけた出版社勤めの人がこの頃姿を見せなくなり、仲間と「彼も大変なんだろうね」とうわさ話をしたのが引っかかっていたこともあるのだろう。いずれにせよ、さほど雑誌に関心のない私でも、こうも雑誌の廃刊や休刊が続くと、ほんとうに出版業界の将来が心配になってくる。雑誌の多くは暇つぶしの種のようなもので必要不可欠とは言えないが、それでも書架を賑やかに彩り、書店に独特の活気を与えていたのは確かであり、時期になると刷り立ての雑誌の束が積み上げられ、それを店員が忙しく荷ほどきをする光景は、端で見ていて気分の良いものだった。

携帯電話やノートPCなどなかったころ、長距離列車に乗る際には、誰も彼もがお茶と弁当、それから必ず週刊誌を買っていた。一通り読み終えると、今度は同行者と交換して読んだ。そして用が済むと、無造作にその場に置き去りにした。そういう習慣の人が多かったせいか、列車の網棚には放置された雑誌が何冊もあり、長時間の退屈しのぎに苦労しなかった覚えがある。列車に限らず、喫茶店とか待合所とか、人の集まるところはどこもそういうふうだった。そういえば、自分も含めて喫煙者が今よりずっと多かったから、妙にニコチン臭い雑誌が多かった。今にして思うと、不思議と時間にゆとりがあり、なにやら贅沢な時代だった。

2010年1月10日日曜日

ベストバイ、ワーストバイ

私生活を知る人から、物欲がないとか、買い物嫌いだとか誤解されることが多い。しかし私の場合は、買い物をするとき、あらかじめ欲しい商品のイメージが比較的明瞭なのだ。デザイン、素材、サイズなどについての要求がはっきりしているため(好き嫌いが激しいという言い方も出来る)、いくら目の前に新商品を積まれても、その基準を満たさなければまったく関心が向かない。もし要求のものが市場に無ければ、それが出るまで何年でも待つか、もしくは自分で作ることを考える。だから、運良く欲しいものが見つかった場合は、大喜びで買い物をする。とっても嬉しいので、すり減ってなくなるまで使い続けたい。現実には、すり減ってなくなるものなどあまりないので、結局修理を重ねながら使い続けることになる。そういうのは、世間では物欲とは言わないのだろうか。

年末に書こうと思ったのだが、去年のベストバイ、ワーストバイを記しておきたい。まずは反省を込めてワーストから。WMFのコーヒーメーカーである。迂闊にもサイズを間違えたため、少人数では使い勝手が悪く、そのためほとんど利用しないでいる。プレス式の場合、容器のサイズはせいぜい3杯分くらいが適当だということが、使ってみて初めて分かった。更に悪いことに、早い段階でガラスにひびが入ってしまった。若干、ガラスが薄いと感じていたが、こんなにも早く駄目にしたのは予想外だった。同じ種類の商品では、かなり高価な買い物だっただけに、返す返すも残念である。何か良い使い道はないだろうか。

私にとってベストバイとは、なによりも生活に激震と言えるくらいの変化(ちょっと大袈裟すぎるけど)をもたらすモノであることが重要だ。単に新品であるとか、目先が少々綺麗になったというのではまったくもの足りない。使うたびに、あぁ、もしこれがなくなったら、明日からどうやって暮らしていけばいいのだろうというくらいの感動が欲しい。で、去年のベストバイだが、底浅のゴムバケツを真っ先に挙げたい。長年のラバーメイドの洗い桶が割れてしまい、テープを貼り付け騙し騙し使い続けていただけに、やっと代わりのものが見つかり本当に助かった。単に助かっただけではない。円形という形が洗い物には最適であるということ。しかも室内で足湯を楽しむにもちょうど良いサイズ。加えて大きな取っ手のおかげで、排水を掃除や植物の水やりに再利用することも簡単になった。もう以前のタイプの洗い桶を使うことを考えられないくらい利便性が優れていて、しかも安価ということで、ベストバイにしたい。

そして、もう一つのベストバイは、エミールアンリの耐熱皿。電気オーブンに2枚同時に入れられるというだけのことだが、今まで不便を耐えてきただけにそのインパクトは計り知れない。沸々と音を立てる焼きたてのグラタンを前に、一緒にイタダキマスと言う幸せは、何ものにも代え難い。それから、この耐熱皿の形状が、意外に何にでも使えるということが分かった。チャーハンのような御飯ものでも食べやすいし、サラダを盛ったり、もちろんパスタ料理にもちょうどいい。丈夫な耐熱の多用途皿として、ちょっとこれ以外のものは考えつかないのである。我が家の食生活に大きなインパクトを与えたモノとして、昨年のベストバイに。

モノの価値は、ある期間使い続けないと見えてこないものである。またデザインにしたって、ぱっと見が良くても、あとになって陳腐な印象に変わるものだって多い。だから、新しいものを短時間で評価するのは難しいと思う。グッドデザイン賞の審査は、一作品につき数分で行われるそうである。大量の応募作品から選り分けなくてはならないのだから、時間的な制約は仕方のないところだが、それにしても乱暴な話だ。昨年末に買ったのでまだ十分ではないが、モノとしてのスジはいいと思えるので、ベストバイ新人賞とでも名付けたいのが、写真の茶漉しである。一人分の茶を入れるに、わざわざポットを準備する手間が煩わしいので、どうしても茶漉しで済ませたくなるが、その旧来型のものが今ひとつ気に入らなかった。それでたまたま使えそうなものに出会えたので購入した次第。しっかりとした丈夫な素材に、直線的なデザインが似合っている。これに付属する乳白色の陶器の皿も実用的。長く使えそうだし、これから愛着の湧きそうな小物として挙げた。

ついでに調子に乗って、ロングラン賞を一つ。ちょうど前回の寅年に、貰ったお茶に付いてきたブリキの茶筒である。中身のお茶はさすがに申し分なかったが、それ以上に容器に感激したという希有な例である。あれから干支が一回りして、使い続けた茶筒にもずいぶんと貫禄が付いた。さすがに蓋の締まりが堅くなったり、表面が汚くなったりしてきたので、クレ556で軽く磨いたらまた元通りの滑らかな動きが戻ってきた。本当に質素で実用的なモノなのに、使えば使うほど美しくなり、まったく廃れず、愛着ばかりが増していく。いやまったく、日本の職人技は桁外れである。

2010年1月3日日曜日

今日の散歩、収穫

ほんのりと暖かな日が続く三が日、今日も昼から散歩に繰り出した。都心に行こうかとも考えたが、どこが良いかさっぱり思いつかないし、それに電車に乗らなくてはと思うと急に億劫になった。どこに行こうが、結局は裏道ばかりを好む。ならば、歩き慣れた道の、ひとつ向こうを歩いても同じだ。じゃあ本日はいつもの方面へ、しかし今まで歩いたことのない道を通ることに決めた。

ただそれだけではつまらないので、自分なりにオシャレをして歩くことにした。そんなに大げさなものでなく、新しいチャッカーブーツを履き、ジャケットに短めのマフラーだけという軽装。歩くだけならウォーキングシューズが楽ちんなんだが、まだ新品の靴を履き馴らすためにしっかり歩いておく必要があったからだ。この靴、旅先で偶然目に止まり、半ば衝動的に買い求めたものだが、デザインの美しさの分だけ私の足には少しスリムで、だから犬を飼い慣らすがごとく、最初にしっかり躾けなくてはならないのである。手始めに大股でずんずん歩くと、靴の強い弾力が体を前に前にと押し出す。おっと負けてはいられない。手を大きく振ってバランスを取り、リズムを刻むようにすると、あっという間に汗ばんでくる。ほどなく、タオルを持ってこなかったことを後悔した。

正月の三日ともなると、シモキタの街はかなりの人出。店も大半が営業していて、今日は若い外国人観光客が特に目立つ。どういった店が人気なのか知らないが、故郷への土産なのだろう、大きな買い物袋を両手に楽しげに歩いている。同じ顔つきの人たちなのに、使う言葉が違うと、目に見えない薄い膜で隔てられているようにもどかしい。その距離感を確認したくて、思わず話し掛けそうになるが、変なオヤジに見られるのが嫌でいつも思いとどまっている。

シモキタではいつもの書店に直行し、小一時間ほど遊んだあと、再び歩いて帰る元気をなくしたので電車で帰宅した。

本日の収穫
・「ああ。二五年」開高健 随筆集。短いのがたくさん入っているので、トイレに置いてチビチビ楽しむ予定。

・「独楽園」薄田泣菫 タイトルは似ているが、例のお下劣小説にあらず。精神の高みからあふれ出た一滴を、お気に入りのお茶とともに静かに味わいたい、そう思わずにはいられない随筆集である。カバーデザインも秀逸。

・「ボン書店の幻」内堀弘 買おうか買うまいか迷ったあげく、もうちょっと寝かせておくことにする。積ん読本が溜まりだしているのだ。

2010年1月1日金曜日

元旦の一日


大晦日の夜は、早めに食事を済ませ、そのまま本を抱えて寝床に入り、除夜の鐘の音を聴くこともなく寝入ってしまった。ふと目が覚めると明け方で、あと数十分もすれば美しい初日の出が拝めそうな気配だった。しかし、ここで起きてしまうと中途半端になるので、もう一度布団をかぶり直し、あてのない眠りに入った。そして次に目覚めると、もう10時半だ。トーストを焼き、作り置きしているゆで卵を頬張りながら、配達されていた年賀状を読む。

天気が良ければ、歩くことに決めていた。このところ運動不足気味だったので、軽いウォーミングアップのつもりだ。十分に暖かくなった昼下がりに、初詣を兼ねて寺社仏閣を通り抜け、そのまま渋谷方面に向かうことにした。遊歩道を歩きながら携帯で家族に年始の挨拶をし、例年のごとく帰省できない言い訳をして、ちょっと考え事をしていたら、いつの間にか予定したコースから外れてしまっていた。街路表示を見ると、30年前に台湾で客死した作家が、一時期家族と暮らしていた場所。幹線道路から一本奥に入ると、周囲を高層ビルに屏風のように取り囲まれて、昭和初期の古い木造家屋があちらこちらに残っている。決して立派とは言えない、当時の月給取りがつましく暮らしていた風情のある、こじんまりと質素な家々。この中のどれかが、もしかしたらそうかも知れない。人通りの無いのをいいことに、軒先をそれとなく見て回った。

小腹が空いたので、営業中のハンバーガーショップに立ち寄った。そこで一番軽めのハンバーガーと、冷たい水をもらう。元旦の昼下がりに、何を好きこのんでハンバーガーなんかと思いきや、意外にも店内は独り者や夫婦連れの老人たちで混んでいた。簡単な食事を済ませた後、再び路地の中をさまよい、三軒茶屋の古い映画館の前にでた。ここでは以前から観たかった映画が上映されていたが、タイミング悪くすでに半分以上過ぎていて、次を待つと夜になってしまう。夜になって都合が悪いわけでもないが、それまでどうやって時間を潰せばいいのだろうか。結局、渋谷に行くのは止めて、成り行き任せに三軒茶屋周辺を徘徊することにした。ここは上京して初めて暮らした街。現在の若者たちの喧噪渦巻く場所と違い、当時は静かで暢気な場所だった。狭い通りには学生相手の飲食店や麻雀店が並んでいて、学生気分の抜けきらない私にはちょうど暮らしやすかった。その頃、モーニングセットを食べるために頻繁に通った喫茶店があり、その後、長らくディスカウントストアが入っていてが、最近廃業したと噂に聞いていた。好奇心もあって尋ねてみると、開店して間のない雰囲気の賑やかな本屋が入っていた。かつてこの場所に、自分が決まって座っていたシートがあり、壁にはフィヨルドの大きなポスターが掛かっていて、それを眺めながら朝食を取るのが好きだった。その同じ空間で、書棚を眺め、本を手に取る自分をダブらせて想像すると、実に奇妙な感じだ。何冊か本を買い求め、外に出るとすでに空気が冷たい。映画は諦めて、家に帰ることにした。

夜になり、餃子をあてにビールを飲みながら、すっかり恒例になったウィーンフィルのコンサートを楽しみ、こうやって年初のブログを書いて過ごしている。年末年始に、ひとりで過ごす中年男性の割合は、同世代の一割という。その何万分の一の、これが、ある名無しの中年男の元旦の一日である。

2009年12月27日日曜日

男のエプロン

大掃除の時期である。普段は無精して、見て見ぬふりを決め込んでいるところも、空いた時間を見つけては、少しずつきれいにしていっている。一度に大掛かりでやっつけるというのは好きではないので、毎日一つ二つ、気になっているところから順番に、修理を兼ねて念入りに行う。緩んだねじを締め直し、蝶番に油を遣り、剥げた塗料を塗り直す。ラジオを聞きながら、飲みながら、考え事をしながら、年明けの仕事始めの辺りまで、そうやって寛ぐのが何より楽しい。


先日の旅行の際に、買い物リストの先頭にあったのが、「エプロン」だった。料理に大工仕事に、ポケットのついた、丈夫で大きなエプロンが必要だったのだが、気に入ったものがなく、ずっと探していたものだ。ところが目的地の名産品のひとつに丈夫な麻布があり、そこに行けばきっと売っているはずという話を偶然聞きつけた。そして現地に行って、何軒かの店を回り、念願かなって見つけたのが写真のエプロンなのである。

素材は綿麻の混紡で、ざっくりと分厚く織られ、手触りはまるで柔道着のよう。ドライバーやペンチも楽に入る、深くて大きなポッケがあり、腰の辺りには布をぶら下げるリングもついている。裾は膝下まであるので、その裾の端を使ってオーブン皿を取り出すことも出来る。一言で言えば、男のためのヘビーデューティ・エプロンである。ただそれだけではあまりに無骨だと思ったのか、胸には赤い唐辛子の刺繍が施されている。それはまあ、ご愛敬。店の主人に、どなたが使うのですかと訊かれ、もちろん僕ですがと言うと、嬉しそうな顔をして「これはあなたにぴったりの品ですよ」と応えた。

後日、知り合いの外国人に、こういうのを買ってきたよと見せると、「うわっ、すてきっ!これは、うーーーん、イッショモノですね。」と意表を突く攻撃を受け、思わず仰け反ってしまった。そりゃもちろん、体が動かなくなるまでずっと使うつもりなんだけどさ。

2009年12月24日木曜日

クリスマス・イヴ



12月に旅行をする機会が多く、これまで様々な国のクリスマスシーズンを体験してきた。キリスト教を基盤にする国では、この時期、凍てつくような気候とは裏腹に、石造りの街全体が暖かな光で覆われる。もちろん商業的な華やかさが目につくものの、それだけでなく、民家の厚い木の扉や軒先などに、ちょっとした飾り物が取り付けられ、それがいかにも素朴な信仰心の象徴のようであり、ほっと心が和まされるのである。

また、それぞれの地域によって、土地柄を反映した個性的な飾り付けがあり、そのありようが社会の雰囲気をあらわして、異邦人にとってはとても興味深いのだ。どの家の窓辺にも、オフィスの窓にまで、三角をかたどる小さな明かりを灯している国があった。別段法律で決められている訳ではないだろうが、社会の整然とした連帯感の強さを感じさせられた。また、玄関先にロウソクを灯す習わしのある国があった。ほかに特別な飾り付けはないが、雪の中でゆらめく小さな炎がたとえようもなく美しく映え、人々の洗練された美意識をよく表していると感じた。

わたしは信仰する宗教を持っていないので、これまでもクリスマス行事とは無縁であり、イヴだからといって特別なことをしたいとは思わない。ただ、宗教を介して連帯感を持ったり、他人を思い遣る気分になる季節が毎年やって来るというのは、その社会にとって悪いことではないと思う。ディケンズの「クリスマス・キャロル」ではないが、自分たちのことで精一杯の暮らしの中で、一日くらいは見知らぬ人たちの幸福を願う夜があったっていいではないか。

夕刻の渋滞に巻き込まれ、クルマの中からオフィス街の明かりをぼんやりと眺めていたら、ラジオからオペラ歌手の歌う「アメイジング・グレイス」が聞こえてきた。薄く降り積もった雪が、すべての景色を浄化するように、透明で清らかな歌声が胸の奥に染みこんでいった。夕暮れの束の間の時間に、私にも訪れた、クリスマス・イヴであった。

2009年12月10日木曜日

初冬の旅 3


前回と同じく、今回も再び路線バスを楽しむ旅行となった。鉄道の場合だと、時刻表などは事前に調べがつくし、どこを走るかも直ぐに分かる。これが路線バスになると、運行状況すら皆目見当がつかない。とりあえず行ってみてのお楽しみ、もしも駄目ならタクシーがあるさ、といういい加減さで臨んだ。

少し考えれば分かるが、路線バスは自分が普段乗るもの以外、たとえ近所でもあまり知らないものだ。まして地方では主たる交通手段は自家用車なので、バスが走っていることにすら無関心だったりする。だから通りすがりの人に停留所を尋ねる程度のことでも、はっきりした答えが返ってこない。停留所が分からない、いつ来るか分からない、どこを通るか分からないでは、まるでサイコロを振って旅行している気分である。


それでも路線バスの旅行が止められないのは、やっぱりそれが楽しいからに尽きる。静かな商業地だの寂しい住宅街だの、バスは我々が普段目にすることのない生活地域を走り抜け、そして、その間に様々な人たちが乗り降りする。ドアが開いて、いきなり潮の匂いが流れ込み、浜辺の町にきたことを知ることがあった。登下校の子供たちに取り囲まれ、楽しいおしゃべりを聞きながらの小旅行もあった。

タクシーや列車に乗れば、あっという間だけど、せっかく無為の時間を過ごすための休暇である。ぼんやりと停留所でバスを待つ時間も悪くないし、名前さえ知らない街に住む人たちの日常をバスの車窓越しに拝見するのも楽しい。そして、見当違いの場所で降車してしまい、途方に暮れるという経験も、後で振り返ると結構愉快なものである。

2009年12月9日水曜日

初冬の旅 2


この地方の居酒屋の名物は、なんと言っても小皿料理。一皿300円くらいからあり、山海の新鮮な素材を調理した、美味しく、しかも見た目にも楽しい料理が提供されている。酒も一杯100円ちょっとから、種類も色々よりどりみどり。ハシゴする場合は、最初からほどほどの注文で切り上げて、次の目当ての店に移動する。4,5軒も回れば腹一杯になり、酒の方もちょうどほろ酔い加減でいい気分。もっと飲もうと思えばいくらでも飲めるのだが、あまり酔っぱらっては勿体ない。呑兵衛の天国は、少しずつ、チビリチビリと楽しむのがちょうどいい。写真は、典型的な居酒屋のカウンターの様子。カウンターの上には、小皿料理がずらりと並び、そこから気に入ったものを取る。手でひょいと摘んで食べる場合もあり、そのために紙ナプキンが多用される。従って、床に散らばっている紙ナプキンの量で、その店の人気が推し量れる。写真の店の場合、開店してあまり時間が経っていなかったが、早くも床が汚れていた。地元でもかなりの人気店のようだ。



具体的にどういう料理があるかというと、たとえばマイタケ風のキノコを串にして揚げたものとか、イカの串焼きとか、フォアグラとか、日本人の舌に馴染みのある味のものが多く、しかも滞在中にメニューが一度も重なることがないくらい色々な種類があった。ちょっと高級な店では、カエルや鳩のソテーなんかが忘れられない。あまりにもいい匂いだったもので、写真を撮る前に齧り付いてしまい、見苦しくてせっかくの写真をお見せできないのが残念だ。


意外だったのは、昼間や夜の早い時間など、老若男女を問わず幅広い人たちが居酒屋に訪れるということ。乳母車を押して昼飯を食べにくる若い母親や、犬の散歩の途中でコーヒーだけを頼む老夫婦など、日本でいうファミレスやコーヒースタンドの役割も兼ねている。何かを飲み終わって、悠然と新聞を広げていてる老人に対しても、店の主人は嫌な表情ひとつ見せない。こういう店が、わたしの住む街にもあればと、ちょっとこの街がうらやましくなったのである。

2009年12月8日火曜日

初冬の旅

とある雑誌に、遠い異国の魅力的な居酒屋街の写真が掲載されていた。その写真に写った街の風景は、とっぷりと日が落ち、雨に濡れた石畳は店先を照らす黄色の照明を反射して、えも言えぬ情感を醸し出していた。分厚い扉を開けると、タバコの煙の向こうに男たちの背中が見える。そしてカウンターの奥では、口数の少ない、厳つい顔のオヤジが客の注文を待っている。やっぱり、そうでなくてはいけない。いつかはこんな街で、夜更けまで飲み歩いてみたい。そう思ってから月日は経ち、今回ようやく願いが叶った。

行った先は、イベリア半島の付け根、ビスケー湾に面したバスク地方である。飛行機で半日を過ごし、長距離列車で6時間、そこから更にバスに揺られる。やっとたどり着いたのは、写真で見たのと同じ雨の街。ただし大西洋の北から吹き付ける風は激しく、雹の混じる雨は冷たく浸みて、容赦なく体温を奪っていく。想像だにしなかった手荒な歓迎だ。お気に入りの店を見つけて、早く酒で体を温めろというお告げだろうか。


呑兵衛は飲むのが仕事。たとえ知らない土地でも、良い居酒屋というのは、それとなく分かる。金持ちの多いのは駄目、若者が多いのも論外。音楽のうるさい店も避けたい。ごく普通の中年オヤジや、年期の入った職人風の客がグラス片手に穏やかに寛ぐ店が良い。そういう店なら、どんな土地でも間違いはない。ましてやここはバスクである。どの店から入ろうかと、迷ってしまうほど良い居酒屋が多かった。


問題は何を注文するかだが、酒はまだいいとしても、料理の名前がさっぱり分からない。言葉そのものが分からないうえ、メニューのない店も珍しくないのでお手上げだ。とりあえず、周りの人に指さして「どうだい?」と尋ね、ぐいっと親指が立てられたなら、すかさず同じものを注文する。経験上、まあ、それで失敗することはない。呑兵衛の好むものに大差はないのだから。写真は、豆とモツの煮込み。居酒屋の基本である。